最近ヘビーローテーションで聴いているのが、『唐沢俊一のポケット』(TBSラジオ)の録音したもの。今まで深夜放送だったので聴く機会をなんとなく逸していたが、今月から金曜夜9時に昇格したので、MDに録音してみた。
そしたら、面白い、面白い。もう下らないヲタ話のオンパレード。唐沢俊一さんというのは、作家・評論家で、カルト的な知識に造詣の深い方である。『トリビアの泉』(フジテレビ系)のスーパーバイザーでもあった。
ゲストが毎回来るようだが、今回のゲストは監督で脚本家の中野貴雄さん。初めて接する名前かなと思っていたら、昨年観た『兜王ビートル』(河崎実監督作品/中川翔子=しょこたん主演作品!)の脚本を書いていた。また河崎監督の最新作『ヅラ刑事(デカ)』でも脚本を担当されているそうだ。
この中野さんの、バカ話の発想力がすごい。マシンガンのように色々なバカ話が出てきて、止まらない。中野さんと唐沢さんの止まらぬ会話を聞いていると、マンガ家の赤塚不二夫さんが、長谷邦夫さんや古谷三敏さん、編集者の五十嵐俊樹さんなどと行っていたアイデア会議って、もしかしたらこうなのかなぁと想像した。五十嵐俊樹さんが『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』で書いたアイデア会議の様子を読むと、唐沢さんと中野さんのトークと同じ匂いがする。とにかく、ダメ出ししないで、どんどん話と発想を膨らませていく。
また特撮から、映画から、文学から、とにかく知識量が多い。偏っているんだけど、偏ってない。すごいなぁ。
それと、全編ヲタ話なんだけど、ケンカにならないのが良い。よくヲタ同志って、主張を譲らなかったり、お互いの好きなもの・作品などを批判したり、ケンカになることが多い。まぁケンカになったら番組にならないという面もあるけれど、紳士のヲタの話し方を学べるようだ。
アシスタントの、海保千里アナウンサーの存在も良い。決してヲタクではないし、ヲタク知識がないけれど、すごく爽やかに唐沢さん達の話に相づちを打ったりやコロコロと笑い声を上げている。仕事だからといえばそれまでだけれど、一般女性が濃いヲタ話など聞かされたら、退屈で仕方ないだろう。それについていっているのだから、なんとも懐の深い女性だと思う。
番組内で触れられているが、往年のヒーロー特撮『シルバー仮面』(1971年)が、このほどリメイク作品としてDVD化(全3話)される。『シルバー假面』と表記するらしい。この映画の脚本を、中野貴雄さんが担当されている。正確には、本来脚本家の佐々木守さんが関わっていたのだが、今年二月に急逝されたので、中野さんが引き継いで書いたようだ。大正時代が舞台で、森鴎外の娘が、シルバー假面に変身する模様。今度のシルバー假面は、森鴎外=日本人とドイツ人のハーフ女性である。第一話は、12月に劇場公開されるようだ。監督は、オリジナル版のスタッフであった実相寺昭雄さん。『シルバー仮面』放映当時は、あまりに変化球の作品だったので視聴率が上がらず、路線変更した経緯がある。なんせ第一話が、「地球人は宇宙の敵」ですからね(裏番組が『ミラーマン』だったし)。リメイク版も女性が変身、舞台は大正時代と変化球の曲がり具合も相当なもので、どうなるか・・・。DVD買わないと全話観られないのが、私には辛いところ。
番組に戻ると、『シルバー仮面』に関連したトークだったが、唐沢さんが『シルバー仮面』の主題歌の一節、♪シールバーかめーんはー、旅ゆーくかーめんと紹介すると、「旅ゆく仮面って、良いですよね、「いい旅夢気分」みたいで。そういうヒーローいいなぁ」と中野さんが答える。こういう調子で、ノンストップでヲタ話が膨らんでいく。そんなノリの番組だ。
さて今週のゲストは、『仮面ライダー555(ファイズ)』で主人公・乾巧(いぬいたくみ)=555を演じた、半田健人君。ヲタク話についていけるかな。
ともあれ知的好奇心を刺激してくれる、軽やかなヲタ空間。金曜9時が楽しみになった。
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2006年10月16日
2006年10月07日
美しい国
『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系列)は、名物企画、バカを決める学力テストコーナー。題して「WBC」。ワールド・バカ・クラシックを決める。珍解答続出で、相変わらず面白い。優勝というか、最下位はよゐこの濱口優。過去最多の4回最下位だが、貫禄のV5で、ワールド・バカに決定。
この番組を観て、日本は幸せだと思った。
今朝NHKラジオで、福島県在住のルワンダ人・カンベンカ・マリールイスさんの話を聞いた。非常に流ちょうな日本語を話されていたが、マリールイスさんは、「日本語が命をつないでくれた」と語る。
福島に洋裁の研修に来日。帰国後すぐにルワンダの内戦。100日間で50万〜100万人が虐殺された内戦で、幼い子供二人を連れて逃げ延び、難民キャンプへ。そこで行方不明の夫とも再会。
福島のホームステイ先だった友人から安否を聞く電話があったことを知らされ、来日時に覚えたひらがなで文を書いてFAXで無事を伝えた。それを見た現地の日本人医師が通訳に雇ってくれた。また赤痢にかかった我が子を、その医師が手配した薬で助けることができた。
福島の友人の尽力で、家族で日本に来ることができ、ようやく安住を得た。誠に、日本語を覚えていたから、命がつながった。
マリールイスさんは、教育の大切さを訴えた。ルワンダは非常に識字率が低い。家が貧しく、学校も少なく、教育を受けることができない人々が多いそうだ。彼女は両親の理解があり、学校教育を受けることができ、さらに日本にホームステイもできた。
ホームステイ先で感動したこと。それは、その家のおばあちゃんが、新聞を読んでいたことだという。母国では老人が文字を読んでいることは、考えられないことだそうだ。それだけ読み書きができない人が多い。新聞を読むおばあちゃんの姿は、とても美しかったという。それと、日本の義務教育制度の素晴らしさを感じたそうだ。マリールイスさんは、母国の母に手紙が書けないことが悲しいという。母は、文字が読めないからだ。
いざという時、本当に役に立つのは頭の中だけだという。すなわち、これまでに培った知識や教養が、命を助けるのだという。経験談だけに、非常に実感ある言葉。
また母国が内戦になったのも、教育水準の低さからくるのではないかと推論する。若者は教育を受けられないから、判断力に欠ける。だから指導的な人が言っている言葉が、良いことか悪いことか、判断できない。
教育の大切さ、戦争は何も生まないということが、体験談だけに生々しく、説得力があった。
『めちゃ×2イケてるッ!』でテストでバカを決めるといっても、読み書きができるから、珍解答が成立するのだ。ワールドバカを決めると言いながら、識字率が低い国から見れば、非常に高度なことをやっているのだ。幸せなことだ。皮肉ではなく、ありがたく思うのだ。私自身も、大学、専門学校まで出してもらった両親に対して、ありがたく思う。それでもこの有様で、申し訳ないけれど。
どこかの首相が言う「美しい国」には、タカが飛んできそうで怖いけれど、マリールイスさんの「新聞を読むおばあちゃんの姿の美しさ」という話は平和的で、非常に素直に日本という国を「美しく」思えるし、感謝できる。教育の大切さを感じた。賢くなっても、それはそれで兵器や武器も進化して、戦争は繰り返されているわけだけれども・・・。

↑本文に関係ないですが、今晩自宅から見えた月です。綺麗でした。
この番組を観て、日本は幸せだと思った。
今朝NHKラジオで、福島県在住のルワンダ人・カンベンカ・マリールイスさんの話を聞いた。非常に流ちょうな日本語を話されていたが、マリールイスさんは、「日本語が命をつないでくれた」と語る。
福島に洋裁の研修に来日。帰国後すぐにルワンダの内戦。100日間で50万〜100万人が虐殺された内戦で、幼い子供二人を連れて逃げ延び、難民キャンプへ。そこで行方不明の夫とも再会。
福島のホームステイ先だった友人から安否を聞く電話があったことを知らされ、来日時に覚えたひらがなで文を書いてFAXで無事を伝えた。それを見た現地の日本人医師が通訳に雇ってくれた。また赤痢にかかった我が子を、その医師が手配した薬で助けることができた。
福島の友人の尽力で、家族で日本に来ることができ、ようやく安住を得た。誠に、日本語を覚えていたから、命がつながった。
マリールイスさんは、教育の大切さを訴えた。ルワンダは非常に識字率が低い。家が貧しく、学校も少なく、教育を受けることができない人々が多いそうだ。彼女は両親の理解があり、学校教育を受けることができ、さらに日本にホームステイもできた。
ホームステイ先で感動したこと。それは、その家のおばあちゃんが、新聞を読んでいたことだという。母国では老人が文字を読んでいることは、考えられないことだそうだ。それだけ読み書きができない人が多い。新聞を読むおばあちゃんの姿は、とても美しかったという。それと、日本の義務教育制度の素晴らしさを感じたそうだ。マリールイスさんは、母国の母に手紙が書けないことが悲しいという。母は、文字が読めないからだ。
いざという時、本当に役に立つのは頭の中だけだという。すなわち、これまでに培った知識や教養が、命を助けるのだという。経験談だけに、非常に実感ある言葉。
また母国が内戦になったのも、教育水準の低さからくるのではないかと推論する。若者は教育を受けられないから、判断力に欠ける。だから指導的な人が言っている言葉が、良いことか悪いことか、判断できない。
教育の大切さ、戦争は何も生まないということが、体験談だけに生々しく、説得力があった。
『めちゃ×2イケてるッ!』でテストでバカを決めるといっても、読み書きができるから、珍解答が成立するのだ。ワールドバカを決めると言いながら、識字率が低い国から見れば、非常に高度なことをやっているのだ。幸せなことだ。皮肉ではなく、ありがたく思うのだ。私自身も、大学、専門学校まで出してもらった両親に対して、ありがたく思う。それでもこの有様で、申し訳ないけれど。
どこかの首相が言う「美しい国」には、タカが飛んできそうで怖いけれど、マリールイスさんの「新聞を読むおばあちゃんの姿の美しさ」という話は平和的で、非常に素直に日本という国を「美しく」思えるし、感謝できる。教育の大切さを感じた。賢くなっても、それはそれで兵器や武器も進化して、戦争は繰り返されているわけだけれども・・・。

↑本文に関係ないですが、今晩自宅から見えた月です。綺麗でした。
2006年10月06日
『放送25周年コサキンEXPO』
平日の午前9時45分。六本木ヒルズ森ビルの52階展望台には、人もまばらだ。台風の接近で梅雨前線が活発で、激しい雨が窓ガラスを打っている。白く煙って、景色はほとんど見えない。

↑雨に煙る東京タワー。
でも私が見に来たのは、眺望ではない。この展望台で、『放送25周年コサキンEXPO』が行われるので、それを見に来たのだ。しかも天候不順の中、初日の今日に来たのは、TBSラジオのフリーペーパー「954プレス」をゲットするため。今回は、コサキン特集号で、放送25周年を記念して表紙を秋本治先生、さくらももこ先生、臼井儀人先生合筆の絵が表紙なのだ。コサキンリスナーのマンガ家さんのコラボだ。
「コサキン」を知らない方に説明すると、小堺一機さんと関根勤さんのラジオ番組を、「コサキン」という。「コサ」は小堺、「キン」は関根勤の「勤」をキンと呼ぶ。
今回は、友人のブロガー・五十嵐三平君を誘っての鑑賞だ。
しかし、こんなに早く来たのに・・・「954プレス」がないっ。何でだ〜。他にリスナーらしき人が、2人程来ていて、やはり戸惑っている。

↑看板。ちょっと斜めってる。
そうこうしてるうちに、六本木ヒルズ展望台の係の人が来て、「コサキン」ディレクターの小関さんに連絡を取ってくれて、午後2時までに「954プレス」を届けに来てくれるという。展望台チケットは本来入退場自由ではないのだが、我々だけ今回特別に許可をしてもらい、「954プレス」が届く時間まで展望台以外の場所で時間を潰しても良いことになった。
「954プレス」をもらって、展示を見て、その後は新宿でゆっくり食事と思っていたのだが、いきなり予定が狂ってしまった。三平君と、展望台のソファーに座って、まったりする。眼前は、相変わらず雲海のように雨で煙って、白い。
展示は、「コサキン」の番組の歴史を、年代ごとに写真で振り返るというもの。写真はほとんど、リスナー提供のもの。それはいいけれど、写真点数が少ない。15分もすれば、すべて見終わってしまう数だ。関係者には申し訳ないけれど、せっかく25周年なのに、これでは寂しい感じだ。
秋本先生達が描いたイラストも展示される予定だが、まだ展示されておらず。

↑展示から、若かりしコサキン表紙の雑誌。欲しいなぁ。
朝が早かったので、腹が減るのも早い。しかし、外は雨と強風で大荒れの天気。私の傘は、あまりの強風で骨が曲がってしまったし。ヒルズの外に行くのは、大変そう。それで、腹ごしらえは六本木ヒルズ森ビル内でということにした。
しかし、六本木ヒルズ内の飲食店は、ゴーカで、ランチも1,000円以上。「てんや」はないのか、「大戸屋」はないのか。「マック」や「セブンイレブン」もない。コサキンでは「チキンちょーだい!」でお馴染み「ケンタッキーフライドチキン」もない。
仕方なく、3階にあるカフェへ。セガフレード・ゼンエッティ・エスプレッソという店。席はビシッとしたスーツのビジネスマンで、一杯。さすがヒルズ。リュック姿の私は、浮きまくりんぐ。
ラザニアのランチを注文。ラザニア+チキンサラダ+レギュラーコーヒー。850円也。
向かいの席には、外人の男性と日本人女性が、英語で商談中。隣には、なんとホームレスらしき老婆が、一杯のビニール袋を置いて休んでいる。そこに私というヒッキーがいるという、勝ち組と負け組が交差する店内だ。
ラザニアが運ばれてきたが、量少なっ!おやつかっ!10cm四方の大きさしかない。これで、はっぴゃくごじうえん。六本木ヒルズ・クオリティーか。そこそこ美味いけれど、量少ないよ〜。

↑ラザニアのランチ。
再び52階展望台。三平君とダベリながら、ひたすら待つ。
午後2時近くになって、展示コーナー付近に行くと、「954プレス」が置いてあった。しかも2冊しかない。いつの間に、油断ならねぇ。慌ててゲット。

↑やっと手に入ったよ〜。
しばらくすると、タレントの関根麻里ちゃん(関根勤さんの娘さん)と構成作家・有川周一さん(コサキンリスナー上がりの作家で、「有周」の名でリスナーに親しまれる)、色麻マネージャーの3人が目の前を通った。麻里ちゃんはルー大柴さんと、今晩ここで行われる番組公開録音の司会をするのだ。抽選でリスナーを招待して行われるのだが、私は抽選にモレッたのだった。
生の麻里ちゃんは、すっごく可愛い〜。外が雨だからか、黄色いゴム長靴を履いている。周りの女性客を見ると、ハイヒールだったり、悪天候関係無しのオシャレ優先スタイルだが、麻里ちゃんは天候のことしっかりを考えた長靴で、マジメな子なんだと感心。両親の教育がしっかりしている。
有周さんは、「やばいなぁ〜」と話ながら歩いていた。彼は極度の恐がりで、番組ではお馴染み。きっと52階という高さにビビッて「やばいなぁ〜」と言ったのだろう。
しばらく間をおいて展示コーナーへ戻ると、麻里ちゃん、色麻マネージャー、構成作家の鶴間政行さんの3人が、展示を見に来ていた。麻里ちゃんのサイン欲しいなぁと思ったが、鶴間さん、色麻さんがガッチリ脇を固めていて、とても入り込めない雰囲気。あきらめた。
三平君が、スタッフの話を漏れ聞いて教えてくれたのだが、どうやら秋本先生達のイラスト原画は、今晩ここで行われる番組公開録音でお披露目後に、展示されるようだ。だから本日の展示はない。ガックシ。
コサキンリスナーというのは、非常に友好的な人が多い。ある男性からアイコンタクトでリスナーだとかぎわけられ、話しかけられた。まるで外国で、やっと同胞に会えたような人なつっこさだ。話を聞くと、かなり初期からのリスナーさんらしい。今日しか都合が合わなくて、駆けつけたようだ。朝もちょっと別のリスナーから話しかけられたのだが、その彼もそのようなことを言っていた。皆仕事をやりくりして、はせ参じたのだ。それを考えると、返す返すも展示の数の少なさが残念。
ドヤドヤとピンクのリボンをつけた集団がやってくる。以前「コサキン」イベントで見覚えのある人もいるから、どうやら今日の公開録音に参加するリスナーだ。見覚えあるリスナーが数年前は学生風だったのが、スーツ姿になっていたり、時の流れを感じる。自分の進歩の無さも。
ここらで我らは退散することに。お昼のラザニアの様に、物足りない展示だったけれど、間近で麻里ちゃんに会えて嬉しかった。朝、3階の展望台チケット売り場で券を買う際、リスナーだけの合い言葉を言うと、料金が割引になるのだが、言った時受付のお姉さんに笑われ、恥ずかしい思いをした。しかしそこがまたコサキンリスナーの証のようで、楽しかった。
外は相変わらず、秋の荒らし。これから六本木ではコサキンリスナー達の、荒らしの宴だろう。羨みつつ、帰路についた。

↑雨に煙る東京タワー。
でも私が見に来たのは、眺望ではない。この展望台で、『放送25周年コサキンEXPO』が行われるので、それを見に来たのだ。しかも天候不順の中、初日の今日に来たのは、TBSラジオのフリーペーパー「954プレス」をゲットするため。今回は、コサキン特集号で、放送25周年を記念して表紙を秋本治先生、さくらももこ先生、臼井儀人先生合筆の絵が表紙なのだ。コサキンリスナーのマンガ家さんのコラボだ。
「コサキン」を知らない方に説明すると、小堺一機さんと関根勤さんのラジオ番組を、「コサキン」という。「コサ」は小堺、「キン」は関根勤の「勤」をキンと呼ぶ。
今回は、友人のブロガー・五十嵐三平君を誘っての鑑賞だ。
しかし、こんなに早く来たのに・・・「954プレス」がないっ。何でだ〜。他にリスナーらしき人が、2人程来ていて、やはり戸惑っている。

↑看板。ちょっと斜めってる。
そうこうしてるうちに、六本木ヒルズ展望台の係の人が来て、「コサキン」ディレクターの小関さんに連絡を取ってくれて、午後2時までに「954プレス」を届けに来てくれるという。展望台チケットは本来入退場自由ではないのだが、我々だけ今回特別に許可をしてもらい、「954プレス」が届く時間まで展望台以外の場所で時間を潰しても良いことになった。
「954プレス」をもらって、展示を見て、その後は新宿でゆっくり食事と思っていたのだが、いきなり予定が狂ってしまった。三平君と、展望台のソファーに座って、まったりする。眼前は、相変わらず雲海のように雨で煙って、白い。
展示は、「コサキン」の番組の歴史を、年代ごとに写真で振り返るというもの。写真はほとんど、リスナー提供のもの。それはいいけれど、写真点数が少ない。15分もすれば、すべて見終わってしまう数だ。関係者には申し訳ないけれど、せっかく25周年なのに、これでは寂しい感じだ。
秋本先生達が描いたイラストも展示される予定だが、まだ展示されておらず。

↑展示から、若かりしコサキン表紙の雑誌。欲しいなぁ。
朝が早かったので、腹が減るのも早い。しかし、外は雨と強風で大荒れの天気。私の傘は、あまりの強風で骨が曲がってしまったし。ヒルズの外に行くのは、大変そう。それで、腹ごしらえは六本木ヒルズ森ビル内でということにした。
しかし、六本木ヒルズ内の飲食店は、ゴーカで、ランチも1,000円以上。「てんや」はないのか、「大戸屋」はないのか。「マック」や「セブンイレブン」もない。コサキンでは「チキンちょーだい!」でお馴染み「ケンタッキーフライドチキン」もない。
仕方なく、3階にあるカフェへ。セガフレード・ゼンエッティ・エスプレッソという店。席はビシッとしたスーツのビジネスマンで、一杯。さすがヒルズ。リュック姿の私は、浮きまくりんぐ。
ラザニアのランチを注文。ラザニア+チキンサラダ+レギュラーコーヒー。850円也。
向かいの席には、外人の男性と日本人女性が、英語で商談中。隣には、なんとホームレスらしき老婆が、一杯のビニール袋を置いて休んでいる。そこに私というヒッキーがいるという、勝ち組と負け組が交差する店内だ。
ラザニアが運ばれてきたが、量少なっ!おやつかっ!10cm四方の大きさしかない。これで、はっぴゃくごじうえん。六本木ヒルズ・クオリティーか。そこそこ美味いけれど、量少ないよ〜。

↑ラザニアのランチ。
再び52階展望台。三平君とダベリながら、ひたすら待つ。
午後2時近くになって、展示コーナー付近に行くと、「954プレス」が置いてあった。しかも2冊しかない。いつの間に、油断ならねぇ。慌ててゲット。

↑やっと手に入ったよ〜。
しばらくすると、タレントの関根麻里ちゃん(関根勤さんの娘さん)と構成作家・有川周一さん(コサキンリスナー上がりの作家で、「有周」の名でリスナーに親しまれる)、色麻マネージャーの3人が目の前を通った。麻里ちゃんはルー大柴さんと、今晩ここで行われる番組公開録音の司会をするのだ。抽選でリスナーを招待して行われるのだが、私は抽選にモレッたのだった。
生の麻里ちゃんは、すっごく可愛い〜。外が雨だからか、黄色いゴム長靴を履いている。周りの女性客を見ると、ハイヒールだったり、悪天候関係無しのオシャレ優先スタイルだが、麻里ちゃんは天候のことしっかりを考えた長靴で、マジメな子なんだと感心。両親の教育がしっかりしている。
有周さんは、「やばいなぁ〜」と話ながら歩いていた。彼は極度の恐がりで、番組ではお馴染み。きっと52階という高さにビビッて「やばいなぁ〜」と言ったのだろう。
しばらく間をおいて展示コーナーへ戻ると、麻里ちゃん、色麻マネージャー、構成作家の鶴間政行さんの3人が、展示を見に来ていた。麻里ちゃんのサイン欲しいなぁと思ったが、鶴間さん、色麻さんがガッチリ脇を固めていて、とても入り込めない雰囲気。あきらめた。
三平君が、スタッフの話を漏れ聞いて教えてくれたのだが、どうやら秋本先生達のイラスト原画は、今晩ここで行われる番組公開録音でお披露目後に、展示されるようだ。だから本日の展示はない。ガックシ。
コサキンリスナーというのは、非常に友好的な人が多い。ある男性からアイコンタクトでリスナーだとかぎわけられ、話しかけられた。まるで外国で、やっと同胞に会えたような人なつっこさだ。話を聞くと、かなり初期からのリスナーさんらしい。今日しか都合が合わなくて、駆けつけたようだ。朝もちょっと別のリスナーから話しかけられたのだが、その彼もそのようなことを言っていた。皆仕事をやりくりして、はせ参じたのだ。それを考えると、返す返すも展示の数の少なさが残念。
ドヤドヤとピンクのリボンをつけた集団がやってくる。以前「コサキン」イベントで見覚えのある人もいるから、どうやら今日の公開録音に参加するリスナーだ。見覚えあるリスナーが数年前は学生風だったのが、スーツ姿になっていたり、時の流れを感じる。自分の進歩の無さも。
ここらで我らは退散することに。お昼のラザニアの様に、物足りない展示だったけれど、間近で麻里ちゃんに会えて嬉しかった。朝、3階の展望台チケット売り場で券を買う際、リスナーだけの合い言葉を言うと、料金が割引になるのだが、言った時受付のお姉さんに笑われ、恥ずかしい思いをした。しかしそこがまたコサキンリスナーの証のようで、楽しかった。
外は相変わらず、秋の荒らし。これから六本木ではコサキンリスナー達の、荒らしの宴だろう。羨みつつ、帰路についた。
2006年05月23日
逞しく生きる心構え
風邪は治らないが、終日マンガの仕事。BGMが欲しくて、『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)を録音したMDを聴く。
秘密基地VIPルームというゲストを迎えるトークコーナーに、漫才師・島田洋七さんが登場。自分の祖母との日々を記した著書『佐賀のがばいばあちゃん』が大ヒットして、このほど映画化もされた。B&Bで一世を風靡した彼に、再びスポットが当たっている。
洋七さんの話は漫才と同じで実に軽快で、面白い。ウソのようなホントのようなおかしい話。車にひかれそうになった洋七さんは、運転手つかまえて怒ったそうな。「ひくならもっと面白くひかんかい!ネタにならんやないか!」。怒るところが違うがな(笑)。
でもこの逞しい精神は見習いたい。どんな不幸でも、ブログやマンガのネタになるなら儲けもんだ。不幸も俯瞰(ふかん)で見られると、どこか笑いが起こってくる。
洋七さんのおばあちゃん=おさのばあちゃんは、ほんとにゆかいだったらしい。とにかく貧乏で、小学生の洋七さんが学校から帰ると、おばあちゃんに「お帰り、早う寝や」と言われると、「夕飯はないな」と納得したという。またおばあちゃんに「お腹減った」と言うと、「気のせいや!」と返される。とにかく竹を割ったようなさっぱりしたおばあちゃん。
B&Bでブレイクした当時はとにかく忙しくて、しまいには放送台本を見ると気持ち悪くなり、仕事をパッと休んだ。それも6年。おさのばあちゃんのところに戻ったそうだ。その間後輩の明石家さんまや島田紳助などにどんどん抜かれた。そんな時おさのばあちゃんは洋七さんに、こんなことを言ったそうである。
「人をうらやましがるのが最大の敵や。だから苦しいねん。」
それを聞いていたから、洋七さんは後輩に抜かれても、別になんとも思わなかったそうである。これも良い言葉だと思う。私などは、絵の上手い人を見れば落ち込み、文章の上手い人を見れば悔しがり、恋人の話をされれば嫉妬する。すべて人との比較から生まれる、劣等感だ。だからしょちゅう苦しいのだ。良い意味で諦める、諦念ということは、精神衛生上良いことかもしれない。自分を不必要に傷つけないためにも。
もっとも私の対抗心は幼少の頃からあって、病院の待合室で同じくらいの子がハンカチ遊びをしていると、負けずにハンカチをポケットから出して遊び始めるという面があった。なんか業が深い感じではある。
洋七さんに言わせると、長くやってれば何でもプロだという。ワシは、貧乏のプロやった、と。また伊集院さんが、尊敬するみうらじゅんさんの言葉を引き合いに出した。
「辛いことの後ろに、『プレイ』という言葉をつけてみなよ、楽になるから。『SMプレイ』みたいにさ。」
さしずめ私の場合は、ひきこもりのプロだろうし、ひきこもりプレイ中なのだろうな。週刊プロレスの読者のプロだし(創刊号から読んでいるから)、素人童貞プレイ中だ。苦しい、悲惨な事実は変わらないが、ちょっとだけとらえ方がポジティブになる。これも事実を俯瞰でとらえ直し、悲惨さをネタに変換する作業と同じであろう。どこか笑いが起こるというか、明るい気分にもなってくる。
洋七さん、おさのばあちゃん、みうらさんとも、要は逞しく生きる心構えを言っているような気がする。
まぁそういう心の作業をしなければならないほど、辛く悲惨な状況だしな〜、とまた思考が一巡りして悲しくもあるが。私はどうも悲観的でいかんな。
話は少しそれるが、先日自民党税制調査会が、成人したニートやフリーター所得税の扶養控除対象から外すことを検討し始めたそうだ。扶養控除を外すことで、ニートらを正業に就くように促進する狙いもあるという。要は成人のニートが家にいればそれだけ増税になり、親に彼らを家から追い出す良い口実をあたえようとするものだ。民主党の小沢代表も、ニートの親は動物に劣ると発言したらしく、与野党からニートへの風当たりがきつくなりそう。これには成人のひきこもりも含まれる問題だろうから、他人事ではない。
さしずめ『ニート追い出し増税プレイ』と名付けてみたが、精神的に乗り切れるか、自分。まだちょっと辛いか・・・。映画『佐賀のがばいばあちゃん』HPを先ほど見たら、おさのおばあちゃんのこんな言葉がのっていた。
「悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない。」(映画『佐賀のがばいばあちゃん』HP内おさのばあちゃん語録より)
『ニート追い出し増税』の話題も、昼すればどうということはないのかな。がばいばあちゃんみたく、私も逞しくならないとなぁ。
秘密基地VIPルームというゲストを迎えるトークコーナーに、漫才師・島田洋七さんが登場。自分の祖母との日々を記した著書『佐賀のがばいばあちゃん』が大ヒットして、このほど映画化もされた。B&Bで一世を風靡した彼に、再びスポットが当たっている。
洋七さんの話は漫才と同じで実に軽快で、面白い。ウソのようなホントのようなおかしい話。車にひかれそうになった洋七さんは、運転手つかまえて怒ったそうな。「ひくならもっと面白くひかんかい!ネタにならんやないか!」。怒るところが違うがな(笑)。
でもこの逞しい精神は見習いたい。どんな不幸でも、ブログやマンガのネタになるなら儲けもんだ。不幸も俯瞰(ふかん)で見られると、どこか笑いが起こってくる。
洋七さんのおばあちゃん=おさのばあちゃんは、ほんとにゆかいだったらしい。とにかく貧乏で、小学生の洋七さんが学校から帰ると、おばあちゃんに「お帰り、早う寝や」と言われると、「夕飯はないな」と納得したという。またおばあちゃんに「お腹減った」と言うと、「気のせいや!」と返される。とにかく竹を割ったようなさっぱりしたおばあちゃん。
B&Bでブレイクした当時はとにかく忙しくて、しまいには放送台本を見ると気持ち悪くなり、仕事をパッと休んだ。それも6年。おさのばあちゃんのところに戻ったそうだ。その間後輩の明石家さんまや島田紳助などにどんどん抜かれた。そんな時おさのばあちゃんは洋七さんに、こんなことを言ったそうである。
「人をうらやましがるのが最大の敵や。だから苦しいねん。」
それを聞いていたから、洋七さんは後輩に抜かれても、別になんとも思わなかったそうである。これも良い言葉だと思う。私などは、絵の上手い人を見れば落ち込み、文章の上手い人を見れば悔しがり、恋人の話をされれば嫉妬する。すべて人との比較から生まれる、劣等感だ。だからしょちゅう苦しいのだ。良い意味で諦める、諦念ということは、精神衛生上良いことかもしれない。自分を不必要に傷つけないためにも。
もっとも私の対抗心は幼少の頃からあって、病院の待合室で同じくらいの子がハンカチ遊びをしていると、負けずにハンカチをポケットから出して遊び始めるという面があった。なんか業が深い感じではある。
洋七さんに言わせると、長くやってれば何でもプロだという。ワシは、貧乏のプロやった、と。また伊集院さんが、尊敬するみうらじゅんさんの言葉を引き合いに出した。
「辛いことの後ろに、『プレイ』という言葉をつけてみなよ、楽になるから。『SMプレイ』みたいにさ。」
さしずめ私の場合は、ひきこもりのプロだろうし、ひきこもりプレイ中なのだろうな。週刊プロレスの読者のプロだし(創刊号から読んでいるから)、素人童貞プレイ中だ。苦しい、悲惨な事実は変わらないが、ちょっとだけとらえ方がポジティブになる。これも事実を俯瞰でとらえ直し、悲惨さをネタに変換する作業と同じであろう。どこか笑いが起こるというか、明るい気分にもなってくる。
洋七さん、おさのばあちゃん、みうらさんとも、要は逞しく生きる心構えを言っているような気がする。
まぁそういう心の作業をしなければならないほど、辛く悲惨な状況だしな〜、とまた思考が一巡りして悲しくもあるが。私はどうも悲観的でいかんな。
話は少しそれるが、先日自民党税制調査会が、成人したニートやフリーター所得税の扶養控除対象から外すことを検討し始めたそうだ。扶養控除を外すことで、ニートらを正業に就くように促進する狙いもあるという。要は成人のニートが家にいればそれだけ増税になり、親に彼らを家から追い出す良い口実をあたえようとするものだ。民主党の小沢代表も、ニートの親は動物に劣ると発言したらしく、与野党からニートへの風当たりがきつくなりそう。これには成人のひきこもりも含まれる問題だろうから、他人事ではない。
さしずめ『ニート追い出し増税プレイ』と名付けてみたが、精神的に乗り切れるか、自分。まだちょっと辛いか・・・。映画『佐賀のがばいばあちゃん』HPを先ほど見たら、おさのおばあちゃんのこんな言葉がのっていた。
「悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない。」(映画『佐賀のがばいばあちゃん』HP内おさのばあちゃん語録より)
『ニート追い出し増税』の話題も、昼すればどうということはないのかな。がばいばあちゃんみたく、私も逞しくならないとなぁ。
2006年05月09日
駄菓子屋
駄菓子屋に通った世代は、今30代の人々が最後かなと思ったりする。全然根拠のない予想だが。20代以下になると、駄菓子屋はコンビニに存在を追われたのではないか。
昭和30年代ブームを受けて、NHKラジオの『ふれあいラジオパーティー』では、今夜は駄菓子屋の特集だった。昔と今の駄菓子屋事情を文化人タレントなどが語り合う。
30代後半の私は、小学校低学年くらい頃駄菓子屋に通った。家から子供の足で20分くらいのところに、駄菓子屋があった。正式な店名はあったらしいが、覚えてない。子供達からは「サービス屋」と呼ばれていた。店主のおばあさんがよくオマケしてくれるからというのが由来というのは、当時近所の子から聞いた。しかし私の記憶では、親子連れの客にサービスが集中し、子供だけで行った時はあんまりサービスしてくれなかった気がする。
木造の小さな店舗だった。住居と一体化している店。お店部分は、四畳半くらいしかなかったような気がする。『ふれあいラジオパーティー』では、駄菓子屋に行くきっかけは、子供同士の口コミだったというのが出演者の一致した意見だった。決して親や教師が教える店ではなかったというのは、私も経験的に分かる。サービス屋に行くきっかけも、近所の男の子グループが教えてくれたような気がする。
サービス屋で何を買っていたか。記憶にあるのは、駄菓子はあまり買わなかった気がする。そのかわりオモチャ関係をよく買ったのを覚えている。
特撮ヒーローやアニメのカードとか、200円くらいの簡単に組み立てられるプラモデルなど。青島文化教材とかイマイとかのプラモデルメーカーを覚えているのは、30代以上の男子だろう。そんな愛すべきB級プラモが、駄菓子屋で夢のような時間をくれたのだ。
イマイのロボダッチとか、大好きだったなぁ。ロボZとか、ガマロボとか、レトロでユーモラスな良い味のデザインだった。デザインを担当したのが、『青の6号』などの潜水艦マンガで活躍したマンガ家小澤さとるさんということを私が知ったのは、数年前のことだ。

↑数年前にまんだらけで買ったマンガ
『ロボダッチ』。小澤さとる作で全3
巻。
青島の合体マシンシリーズも懐かしい。例えばマッハバロン(往年の特撮巨大ロボット)などは、身体の部品が4つに分けられて、それぞれに番組設定とはなんの関係もないマシンと合体させられていた。例えば車のボンネットにいきなりマッハバロンの顔だけついているマシンとか、それはもういい加減で荒っぽいデザインだった。でもそこがなんだか夢があったかんじだ。それで4つマシンを買わないとマッハバロンが完成しないので、コンプリートする楽しみもあった。
カード関係は、当時大ブームだったアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のカードをよく買った。集める楽しみもあったが、カードをメンコのように使って遊ぶことが主眼だった。机や地面にある相手のカード目がけて、自分のカードを投げつけて裏返す遊びだ。単純な遊びだが、ひっくり返すのにはなかなかコツがあって、難しいのだった。今は『デュエルマスターズ』とか『オシャレ魔女ラブandベリー』など男女それぞれにカードゲームがある。昔より遊び内容は知的になり、より購買意欲をかき立てる仕組みになっているが、カード好きでコレクション好きというのは子供の嗜好の普遍性かなと感じる。
サービス屋の隣には、映画館があった。映画館と文化や経済を共存共栄しているような店だったが、私が中学生くらいの頃、映画館が潰れた。それからまもなくして、サービス屋もなくなったようだ。コンビニとレンタルビデオ屋さんに文化・経済圏が代わり、それについていけなくなったのかもしれない。今ではそこは、コンクリートの駐車場になっている。
オモチャ屋さんやスーパーみたいな整然とメジャーな品が並ぶ店ではないけれど、駄菓子屋はマイナーでB級感たっぷりのお菓子とオモチャが渾然とした世界であった。いい加減だけど、自由な空気があった気がする。
子供達の悲惨な事件があったりするので、登下校の監視・管理も厳しくなったようだ。売られているオモチャなども、大人達の綿密な市場リサーチや研究で、巧みに計画的に売られている。すべてにおいて計画的かつ管理されている日本では、チープでいい加減な味わいの駄菓子屋さんの入る隙間は少ないのではないか。
『ふれあいラジオパーティー』では、現在駄菓子屋を2軒経営されている私と同世代の男性が出演されていたが、自由でゆるい空間の継承に頑張って欲しいものだ。子供達には、ぶらり道草的に楽しむ、良い意味での無駄な空間があっても良いと思うのだけれど。
昭和30年代ブームを受けて、NHKラジオの『ふれあいラジオパーティー』では、今夜は駄菓子屋の特集だった。昔と今の駄菓子屋事情を文化人タレントなどが語り合う。
30代後半の私は、小学校低学年くらい頃駄菓子屋に通った。家から子供の足で20分くらいのところに、駄菓子屋があった。正式な店名はあったらしいが、覚えてない。子供達からは「サービス屋」と呼ばれていた。店主のおばあさんがよくオマケしてくれるからというのが由来というのは、当時近所の子から聞いた。しかし私の記憶では、親子連れの客にサービスが集中し、子供だけで行った時はあんまりサービスしてくれなかった気がする。
木造の小さな店舗だった。住居と一体化している店。お店部分は、四畳半くらいしかなかったような気がする。『ふれあいラジオパーティー』では、駄菓子屋に行くきっかけは、子供同士の口コミだったというのが出演者の一致した意見だった。決して親や教師が教える店ではなかったというのは、私も経験的に分かる。サービス屋に行くきっかけも、近所の男の子グループが教えてくれたような気がする。
サービス屋で何を買っていたか。記憶にあるのは、駄菓子はあまり買わなかった気がする。そのかわりオモチャ関係をよく買ったのを覚えている。
特撮ヒーローやアニメのカードとか、200円くらいの簡単に組み立てられるプラモデルなど。青島文化教材とかイマイとかのプラモデルメーカーを覚えているのは、30代以上の男子だろう。そんな愛すべきB級プラモが、駄菓子屋で夢のような時間をくれたのだ。
イマイのロボダッチとか、大好きだったなぁ。ロボZとか、ガマロボとか、レトロでユーモラスな良い味のデザインだった。デザインを担当したのが、『青の6号』などの潜水艦マンガで活躍したマンガ家小澤さとるさんということを私が知ったのは、数年前のことだ。

↑数年前にまんだらけで買ったマンガ
『ロボダッチ』。小澤さとる作で全3
巻。
青島の合体マシンシリーズも懐かしい。例えばマッハバロン(往年の特撮巨大ロボット)などは、身体の部品が4つに分けられて、それぞれに番組設定とはなんの関係もないマシンと合体させられていた。例えば車のボンネットにいきなりマッハバロンの顔だけついているマシンとか、それはもういい加減で荒っぽいデザインだった。でもそこがなんだか夢があったかんじだ。それで4つマシンを買わないとマッハバロンが完成しないので、コンプリートする楽しみもあった。
カード関係は、当時大ブームだったアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のカードをよく買った。集める楽しみもあったが、カードをメンコのように使って遊ぶことが主眼だった。机や地面にある相手のカード目がけて、自分のカードを投げつけて裏返す遊びだ。単純な遊びだが、ひっくり返すのにはなかなかコツがあって、難しいのだった。今は『デュエルマスターズ』とか『オシャレ魔女ラブandベリー』など男女それぞれにカードゲームがある。昔より遊び内容は知的になり、より購買意欲をかき立てる仕組みになっているが、カード好きでコレクション好きというのは子供の嗜好の普遍性かなと感じる。
サービス屋の隣には、映画館があった。映画館と文化や経済を共存共栄しているような店だったが、私が中学生くらいの頃、映画館が潰れた。それからまもなくして、サービス屋もなくなったようだ。コンビニとレンタルビデオ屋さんに文化・経済圏が代わり、それについていけなくなったのかもしれない。今ではそこは、コンクリートの駐車場になっている。
オモチャ屋さんやスーパーみたいな整然とメジャーな品が並ぶ店ではないけれど、駄菓子屋はマイナーでB級感たっぷりのお菓子とオモチャが渾然とした世界であった。いい加減だけど、自由な空気があった気がする。
子供達の悲惨な事件があったりするので、登下校の監視・管理も厳しくなったようだ。売られているオモチャなども、大人達の綿密な市場リサーチや研究で、巧みに計画的に売られている。すべてにおいて計画的かつ管理されている日本では、チープでいい加減な味わいの駄菓子屋さんの入る隙間は少ないのではないか。
『ふれあいラジオパーティー』では、現在駄菓子屋を2軒経営されている私と同世代の男性が出演されていたが、自由でゆるい空間の継承に頑張って欲しいものだ。子供達には、ぶらり道草的に楽しむ、良い意味での無駄な空間があっても良いと思うのだけれど。
2006年04月26日
雲泥の差
今日も頭痛が続いている。夜になって、酷くなってきている。左目の上のくぼんだ辺りがズキズキする。熱はほぼ下がったというのに、参ったなぁ。
午前中は愛猫を動物病院へ。行きがけに車のラジオで『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)を聴いていたら、ジャズ風の変な生歌が聞こえてきた。素人の私が生意気だけど「あんまり上手くないなぁ」と思った。誰が歌っているのかと聴き続けていると、スタジオのゲストの方。司会の悠里さんに「ヤナギサワシンイチ」と紹介されている。誰だろう。でも聴いたことがあるような声・・・?
悠里さんが「『奥様は魔女』のDVD版を一部吹き替え直されたんですってね。不適切な表現の部分とか・・・」と話していて、そうか!と納得。往年のアメリカのTVコメディー『奥様は魔女』で、魔女サマンサの旦那様ダーリン役の声を吹き替えていた人だ。どうりで聴き覚えがあるはずであった。
後でネットで調べると、「ヤナギサワシンイチ」は漢字では「柳澤愼一」と書く。ラジオでも紹介されていたが、俳優やJAZZ歌手の傍ら、長年福祉活動をされているそうだ。へぇぇ知らなかった。下手な歌なんて言って、すんません。
柳澤さんは現在73歳。しかし声は、ダーリンの声そのまま。ハンサムな若々しいお声だ。ネットで調べると、柳澤さんは戦後、戦災孤児や障害者が苦労されているのを見て、その慰問費用にしようとアメリカ進駐軍のクラブでJAZZを歌ったのが芸能界入りのきっかけだったそうだ。芸能活動と福祉活動を同時にスタートさせたようだ。
『奥様は魔女』のナレーション風(声:中村正)に言うと、「ダーリンは、根っからの福祉活動家だったのです」、か。すごい方です。
夕方本屋に『週刊プロレス』を買いに行った際、『フィギュア王』最新号を立ち読み。パラパラとページをめくると、「!!」。怪獣の父と呼ばれる画家で造形家の高山良策さんのドキュメンタリーDVD『怪獣のあけぼの』が発売されるのだが、付属の怪獣フィギュアが2種類あることが告知されていたのだ。レッドキングとカネゴンの2種類。えぇ〜、そんな〜。レッドキングだけだと思っていたから、先日ネットで予約してしまったのだ。カネゴンの方が好きだから、そっちが良いのに・・・。もう予約の取り消しできないし。レッドキング版とカネゴン版では、販売ルートが違うらしい。さらにレッドキングには、通常版とAmazon特別カラーバージョンというのもあるそうだ。なんだそりゃ(怒)。あこぎな商売するなぁ。高い商品だから、二つ三つも買えないよ・・・。頭が余計痛くなってきた。
・・・こんなことで悩む私は、福祉活動家のダーリンとは雲泥の差、なのです。すんません。
午前中は愛猫を動物病院へ。行きがけに車のラジオで『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)を聴いていたら、ジャズ風の変な生歌が聞こえてきた。素人の私が生意気だけど「あんまり上手くないなぁ」と思った。誰が歌っているのかと聴き続けていると、スタジオのゲストの方。司会の悠里さんに「ヤナギサワシンイチ」と紹介されている。誰だろう。でも聴いたことがあるような声・・・?
悠里さんが「『奥様は魔女』のDVD版を一部吹き替え直されたんですってね。不適切な表現の部分とか・・・」と話していて、そうか!と納得。往年のアメリカのTVコメディー『奥様は魔女』で、魔女サマンサの旦那様ダーリン役の声を吹き替えていた人だ。どうりで聴き覚えがあるはずであった。
後でネットで調べると、「ヤナギサワシンイチ」は漢字では「柳澤愼一」と書く。ラジオでも紹介されていたが、俳優やJAZZ歌手の傍ら、長年福祉活動をされているそうだ。へぇぇ知らなかった。下手な歌なんて言って、すんません。
柳澤さんは現在73歳。しかし声は、ダーリンの声そのまま。ハンサムな若々しいお声だ。ネットで調べると、柳澤さんは戦後、戦災孤児や障害者が苦労されているのを見て、その慰問費用にしようとアメリカ進駐軍のクラブでJAZZを歌ったのが芸能界入りのきっかけだったそうだ。芸能活動と福祉活動を同時にスタートさせたようだ。
『奥様は魔女』のナレーション風(声:中村正)に言うと、「ダーリンは、根っからの福祉活動家だったのです」、か。すごい方です。
夕方本屋に『週刊プロレス』を買いに行った際、『フィギュア王』最新号を立ち読み。パラパラとページをめくると、「!!」。怪獣の父と呼ばれる画家で造形家の高山良策さんのドキュメンタリーDVD『怪獣のあけぼの』が発売されるのだが、付属の怪獣フィギュアが2種類あることが告知されていたのだ。レッドキングとカネゴンの2種類。えぇ〜、そんな〜。レッドキングだけだと思っていたから、先日ネットで予約してしまったのだ。カネゴンの方が好きだから、そっちが良いのに・・・。もう予約の取り消しできないし。レッドキング版とカネゴン版では、販売ルートが違うらしい。さらにレッドキングには、通常版とAmazon特別カラーバージョンというのもあるそうだ。なんだそりゃ(怒)。あこぎな商売するなぁ。高い商品だから、二つ三つも買えないよ・・・。頭が余計痛くなってきた。
・・・こんなことで悩む私は、福祉活動家のダーリンとは雲泥の差、なのです。すんません。
2006年04月23日
初めての涙
マンガを描こうと、パソコンの前に座って、彩色作業をしているが、どーにもこーにも身体に力が入らず、座っているだけでだるくて辛い。首筋から背筋にかけて、うっすら寒気がする。嫌な予感。
やっぱり。体温計で測ったら、37.6度。発熱していた。はぁ・・・。今年2回目の風邪だ。病院がよいばかりで、情けないな。
日曜でもやっている近所の内科に行って、薬を処方してもらう。
帰宅してベットに横になりながら、携帯ラジオで『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)を聴く。身体がだるくて詳細が記せないのだが、太平洋戦争中の高校野球で、占領統治下の台湾の高校球児の話がすごく感動物だった。80代のおじいさんが、台湾の高校球児のだった頃、すごい台湾人のバッターがいて(名前は失念)、今でも存命なら会ってみたいという願いを、伊集院以下若手芸人やスタッフが必死に探すというものだった。
すべて望みが絶たれたと思われた時、スタジオに来ていたおじいさんの元に、その「彼」がやって来た!台湾から来てくれたのだ。その瞬間、涙を流して抱き合う二人。私の目から思わず涙がこぼれてきた。ラジオを聴いてて泣いたのは、初めてだ。いやぁ〜良い話だ〜〜。生きていれば、こういう嬉しいことがあるのだなぁ。MDに録音しておけば良かった。
夜になっても、熱はそれほど下がらない。ベットに横になっても、熱で身体が痛くて眠れない夜になるかな。ラジオを聴いて、長い夜を歩いていこうか・・・。
やっぱり。体温計で測ったら、37.6度。発熱していた。はぁ・・・。今年2回目の風邪だ。病院がよいばかりで、情けないな。
日曜でもやっている近所の内科に行って、薬を処方してもらう。
帰宅してベットに横になりながら、携帯ラジオで『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)を聴く。身体がだるくて詳細が記せないのだが、太平洋戦争中の高校野球で、占領統治下の台湾の高校球児の話がすごく感動物だった。80代のおじいさんが、台湾の高校球児のだった頃、すごい台湾人のバッターがいて(名前は失念)、今でも存命なら会ってみたいという願いを、伊集院以下若手芸人やスタッフが必死に探すというものだった。
すべて望みが絶たれたと思われた時、スタジオに来ていたおじいさんの元に、その「彼」がやって来た!台湾から来てくれたのだ。その瞬間、涙を流して抱き合う二人。私の目から思わず涙がこぼれてきた。ラジオを聴いてて泣いたのは、初めてだ。いやぁ〜良い話だ〜〜。生きていれば、こういう嬉しいことがあるのだなぁ。MDに録音しておけば良かった。
夜になっても、熱はそれほど下がらない。ベットに横になっても、熱で身体が痛くて眠れない夜になるかな。ラジオを聴いて、長い夜を歩いていこうか・・・。
2006年04月17日
コンパス、プロレス、岡崎さん
子供情報番組『おはスタ』の中の『バクスタ』では、子役タレント達が毎日様々なクイズなどにチャレンジするコーナーが多い。今日は「10秒チャレンジ」というコーナーだった。10秒で出された課題をこなせたら、美味しいご褒美があるというもの。
これを寝起きでボーッと観ていたが、「えっ!?」とちょっと頭が覚めるシーンが。
コンパスを使って2つの円を10秒で描けたらクリアという課題だった。なんでもない課題である。子供達(小学4年生くらい)が3人チャレンジしたが・・・皆コンパスが使えないのだ。説明するまでもないけれど、コンパスでの円の描き方は、二股の接続部分にある突端のつまみの部分を握って、一方の針の先を紙に刺して支点とし、つまんだ親指と人差し指を駆使して、グルッと円を描けば良い。しかしバクスタの子供達は皆、頭のつまみをまったく握らないで描こうとするのだ。片方の手で針のある方を握り、もう片方で鉛筆の芯のある方を掴み、両手を使ってなんとかコンパスを回転させて円を描こうとしているのだ。えぇ!?小学校でコンパスの使い方って、習わないのだろうか。それじゃかえって描きにくいだろうに。今時の小学生は、コンパスも使えないのかなぁ。
というか今時の子はコンパスを使うのも難しいから、課題として選ばれたのだろうか。なんだかなぁ。
昨晩放送の『プロレスリングNOAH中継』を観る。
次期GHCヘビー級挑戦者決定戦は、NOAHの中堅限定のトーナメントだったが、決勝は斉藤彰俊vs井上雅央(まさお)。レスラーの格としては雅央より斉藤の方が上。また現王者の秋山準と斉藤は、元GHCヘビー級タッグ王者コンビだ。無難に斉藤が勝って、秋山と元タッグパートナー対決かなと予想していたが、なんと雅央が勝ってしまった。リングアウト勝ちという、負けた方が弱いという印象を与えない、勝った方も運が良かった的な勝ち方だったが。斉藤の格を落とさない勝ち方だ。
今度の日本武道館は、まさかのド中堅井上雅央が、メインイベントで秋山に挑戦。雅央はデビュー15年にして初タイトル戦だ。KENTAや丸藤正道などの若手イケメン選手が人気で、エース小橋もデンと存在。集客的に安定しているからこそ、雅央のタイトル挑戦という意外性があるけれど、集客的には「?」のカードが組めるのだろう。いつもの無難すぎる試合をしていたら、雅央はメインを務められない。周囲の期待に応えられるかどうか。
丸藤とKENTAの海外遠征の映像が流れる。丸藤&KENTAvsサモア・ジョー&ブライアン・ダニエルソン。丸藤とKENTAは相変わらず良いのだが、注目はサモア・ジョーだった。軽くおデブな体型に似合わず、器用に蹴りを使う。また腕十字固めが、UWF風に素早く腕を巻き込んで極める。グランド技もできて蹴りも使い、目の覚めるようなパワースラムを放つという、今時のジャパニーズスタイルなレスラーだ。そして闘志をむき出しのタイプ。日本に来たら面白いだろうな。
パンクラスのヘビー級王者決定トーナメントに参加した、杉浦貴(たかし)の試合も放送。総合格闘技の試合だが、杉浦はあまり良いところなく、元極真の野地竜太にKO負けした。杉浦はこの試合の準備に3ヶ月を費やしたそうだが、元アマレスの猛者であっても総合挑戦は最低1年は準備期間が必要だったと思う。
私はプロレスと総合は別物だと思っているから、杉浦が負けても受け止めることもできるけれど、純粋なプロレスファンというかNOAHファンは、これをどう受け止めるのだろう。プロレスの番組に、リアルファイトの非情な世界を流すのは、純粋なファンが抱くプロレスの、あるいはNOAHの夢の世界を壊すことになるのではないだろうか。
しかし杉浦はこの試合の前日まで、プロレスの試合をしてるのだ。プロレス=仕事をこなしながらの総合挑戦だから、大変な苦労だ。その努力には頭が下がる。
夜NHKラジオの『おしゃべりクイズ 疑問の館』を聴いていたら、電話でのゲスト出題者が、フリーライターの岡崎武志さんだった。このブログでも取り上げたことのある『気まぐれ古書店紀行』(工作舎)の著者で、古本コレクターである。古本に関するクイズを出題していた。肉声を初めて聴くことができた。インタビュー仕事が多いと著書で書かれていたが、営業マンのような丁寧な言葉遣いできちんとしておられた。
また『気まぐれ〜』を読んでいたから、クイズの答えはほとんど分かる。出題されたクイズを一つ紹介すると、「私(岡崎)が、人と話すと必ず質問されることはなんでしょう?」。分かりますか?
答えは、「家にある本は、全部読んでいるんですか?」
岡崎さんは、年間1500冊ほど古本を買うそうだ。だから、全部読めるはずがない。大半は様々な理由で、ただ買っただけなのだ。タイトルが面白いから、装丁がキレイだから、挿絵が良いから、あとがきが面白いから、等々色々な切り口の購入動機があるのだ。古本が好きな人にしか分からない買い方だろう。読破だけが、本とのつき合い方ではないことが分かる。もっともこんな買い方をしていれば、自宅は本だらけになってしまうので注意が必要だけれども。私もその一人だ(ヤレヤレ)。
ともあれ、自分の好きなジャンルの人が出るのは、嬉しいものだ。
これを寝起きでボーッと観ていたが、「えっ!?」とちょっと頭が覚めるシーンが。
コンパスを使って2つの円を10秒で描けたらクリアという課題だった。なんでもない課題である。子供達(小学4年生くらい)が3人チャレンジしたが・・・皆コンパスが使えないのだ。説明するまでもないけれど、コンパスでの円の描き方は、二股の接続部分にある突端のつまみの部分を握って、一方の針の先を紙に刺して支点とし、つまんだ親指と人差し指を駆使して、グルッと円を描けば良い。しかしバクスタの子供達は皆、頭のつまみをまったく握らないで描こうとするのだ。片方の手で針のある方を握り、もう片方で鉛筆の芯のある方を掴み、両手を使ってなんとかコンパスを回転させて円を描こうとしているのだ。えぇ!?小学校でコンパスの使い方って、習わないのだろうか。それじゃかえって描きにくいだろうに。今時の小学生は、コンパスも使えないのかなぁ。
というか今時の子はコンパスを使うのも難しいから、課題として選ばれたのだろうか。なんだかなぁ。
昨晩放送の『プロレスリングNOAH中継』を観る。
次期GHCヘビー級挑戦者決定戦は、NOAHの中堅限定のトーナメントだったが、決勝は斉藤彰俊vs井上雅央(まさお)。レスラーの格としては雅央より斉藤の方が上。また現王者の秋山準と斉藤は、元GHCヘビー級タッグ王者コンビだ。無難に斉藤が勝って、秋山と元タッグパートナー対決かなと予想していたが、なんと雅央が勝ってしまった。リングアウト勝ちという、負けた方が弱いという印象を与えない、勝った方も運が良かった的な勝ち方だったが。斉藤の格を落とさない勝ち方だ。
今度の日本武道館は、まさかのド中堅井上雅央が、メインイベントで秋山に挑戦。雅央はデビュー15年にして初タイトル戦だ。KENTAや丸藤正道などの若手イケメン選手が人気で、エース小橋もデンと存在。集客的に安定しているからこそ、雅央のタイトル挑戦という意外性があるけれど、集客的には「?」のカードが組めるのだろう。いつもの無難すぎる試合をしていたら、雅央はメインを務められない。周囲の期待に応えられるかどうか。
丸藤とKENTAの海外遠征の映像が流れる。丸藤&KENTAvsサモア・ジョー&ブライアン・ダニエルソン。丸藤とKENTAは相変わらず良いのだが、注目はサモア・ジョーだった。軽くおデブな体型に似合わず、器用に蹴りを使う。また腕十字固めが、UWF風に素早く腕を巻き込んで極める。グランド技もできて蹴りも使い、目の覚めるようなパワースラムを放つという、今時のジャパニーズスタイルなレスラーだ。そして闘志をむき出しのタイプ。日本に来たら面白いだろうな。
パンクラスのヘビー級王者決定トーナメントに参加した、杉浦貴(たかし)の試合も放送。総合格闘技の試合だが、杉浦はあまり良いところなく、元極真の野地竜太にKO負けした。杉浦はこの試合の準備に3ヶ月を費やしたそうだが、元アマレスの猛者であっても総合挑戦は最低1年は準備期間が必要だったと思う。
私はプロレスと総合は別物だと思っているから、杉浦が負けても受け止めることもできるけれど、純粋なプロレスファンというかNOAHファンは、これをどう受け止めるのだろう。プロレスの番組に、リアルファイトの非情な世界を流すのは、純粋なファンが抱くプロレスの、あるいはNOAHの夢の世界を壊すことになるのではないだろうか。
しかし杉浦はこの試合の前日まで、プロレスの試合をしてるのだ。プロレス=仕事をこなしながらの総合挑戦だから、大変な苦労だ。その努力には頭が下がる。
夜NHKラジオの『おしゃべりクイズ 疑問の館』を聴いていたら、電話でのゲスト出題者が、フリーライターの岡崎武志さんだった。このブログでも取り上げたことのある『気まぐれ古書店紀行』(工作舎)の著者で、古本コレクターである。古本に関するクイズを出題していた。肉声を初めて聴くことができた。インタビュー仕事が多いと著書で書かれていたが、営業マンのような丁寧な言葉遣いできちんとしておられた。
また『気まぐれ〜』を読んでいたから、クイズの答えはほとんど分かる。出題されたクイズを一つ紹介すると、「私(岡崎)が、人と話すと必ず質問されることはなんでしょう?」。分かりますか?
答えは、「家にある本は、全部読んでいるんですか?」
岡崎さんは、年間1500冊ほど古本を買うそうだ。だから、全部読めるはずがない。大半は様々な理由で、ただ買っただけなのだ。タイトルが面白いから、装丁がキレイだから、挿絵が良いから、あとがきが面白いから、等々色々な切り口の購入動機があるのだ。古本が好きな人にしか分からない買い方だろう。読破だけが、本とのつき合い方ではないことが分かる。もっともこんな買い方をしていれば、自宅は本だらけになってしまうので注意が必要だけれども。私もその一人だ(ヤレヤレ)。
ともあれ、自分の好きなジャンルの人が出るのは、嬉しいものだ。
2006年04月09日
ラジオで暮れる日曜日
午前中は昨晩録音した『コサキンDEワオ!』(TBSラジオ)を聴く。聴いてもあまり意気上がらない。ムー。でもなんとか奮い立たせ、昨日の分のブログを加筆・完成させた。
ラジオといえば、土曜夜は『土曜の夜はケータイ短歌』(NHKラジオ)を毎週楽しみに聴いているが、4月からリニューアルした。新しいパーソナリティーに、漫画家の魚喃キリコさんが加わったのだが、個人的には彼女はあんまり好きになれないなぁ。理由は、女としての経験値(仕事と性)が高いことを隠さないところ態度からかぎ取れ、私には辛いのだった。これはあくまで私個人の劣等感が刺激されるからなので、一般の女性リスナーには彼女が頼もしく、話しやすくて親近感を持つだろうと思う。なんか強気で自信満々の女性って、苦手なんだなぁ。
午後は携帯ラジオのダイヤルを『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)に合わせるが、プロ野球デイゲームのため短縮放送だった。あらら。
意気上がらず、ベットで読書などして寝逃げする。ベットに入るとボーッとした頭がかえって冴えてきて、今度はこんなことをしていて良いのかという自責の念が頭にジリジリ広がっていく。1時間ほどジリジリして、ガバッと起きる。
部屋に夕焼けが差し込む頃、ようやくマンガに着手。ペン入れを少し進めた。描くのが苦痛であるのだが、描かないのはもっと苦痛なのだ。だから、すこしでも進めることが、精神衛生上は良いのだ。相撲に例えるなら、辛くても前へ攻め込んで負ける方が、叩き込みで安易に勝つより気分が良いということかな。マンガという土俵で、作品を寄り立てる感じ。ペン入れ終わらないから、作品に負けているのだが、攻めたので気分は幾分良いのだ。この例え、ちょっと伝わらないですかね。
ただ今22時15分。『智一・美樹のラジオビックバン』(文化放送)を聴いているが、ラジカセのタイマー録音のスイッチが入らなくて焦る。なんでだ〜。下ネタ多く、相変わらずバカバカしい放送だ(褒めてます)。番組の企画から結成された声優志望の女の子5人のユニット、『Kisty(キスティー)』は相変わらずいじめられていて、可哀想だが面白い。
これから23時10分からは放送時間が21時5分から移動した『日曜名作座』(NHKラジオ)を聴き、0時30分から『堀江由衣の天使のたまご』(文化放送)を聴く予定。『日曜名作座』は森繁久彌の渋くてとぼけた語りが聴ける。森繁久彌(俳優界の長老)→堀江由衣(アイドル声優)という連携は、我ながら趣味がチャランポランだなぁ。
日曜日は、かくて駆け足で去っていく。
ラジオといえば、土曜夜は『土曜の夜はケータイ短歌』(NHKラジオ)を毎週楽しみに聴いているが、4月からリニューアルした。新しいパーソナリティーに、漫画家の魚喃キリコさんが加わったのだが、個人的には彼女はあんまり好きになれないなぁ。理由は、女としての経験値(仕事と性)が高いことを隠さないところ態度からかぎ取れ、私には辛いのだった。これはあくまで私個人の劣等感が刺激されるからなので、一般の女性リスナーには彼女が頼もしく、話しやすくて親近感を持つだろうと思う。なんか強気で自信満々の女性って、苦手なんだなぁ。
午後は携帯ラジオのダイヤルを『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)に合わせるが、プロ野球デイゲームのため短縮放送だった。あらら。
意気上がらず、ベットで読書などして寝逃げする。ベットに入るとボーッとした頭がかえって冴えてきて、今度はこんなことをしていて良いのかという自責の念が頭にジリジリ広がっていく。1時間ほどジリジリして、ガバッと起きる。
部屋に夕焼けが差し込む頃、ようやくマンガに着手。ペン入れを少し進めた。描くのが苦痛であるのだが、描かないのはもっと苦痛なのだ。だから、すこしでも進めることが、精神衛生上は良いのだ。相撲に例えるなら、辛くても前へ攻め込んで負ける方が、叩き込みで安易に勝つより気分が良いということかな。マンガという土俵で、作品を寄り立てる感じ。ペン入れ終わらないから、作品に負けているのだが、攻めたので気分は幾分良いのだ。この例え、ちょっと伝わらないですかね。
ただ今22時15分。『智一・美樹のラジオビックバン』(文化放送)を聴いているが、ラジカセのタイマー録音のスイッチが入らなくて焦る。なんでだ〜。下ネタ多く、相変わらずバカバカしい放送だ(褒めてます)。番組の企画から結成された声優志望の女の子5人のユニット、『Kisty(キスティー)』は相変わらずいじめられていて、可哀想だが面白い。
これから23時10分からは放送時間が21時5分から移動した『日曜名作座』(NHKラジオ)を聴き、0時30分から『堀江由衣の天使のたまご』(文化放送)を聴く予定。『日曜名作座』は森繁久彌の渋くてとぼけた語りが聴ける。森繁久彌(俳優界の長老)→堀江由衣(アイドル声優)という連携は、我ながら趣味がチャランポランだなぁ。
日曜日は、かくて駆け足で去っていく。
2006年04月02日
「仕事ある。故に我あり」
読書しつつ、時々ウトウトしつつの2時間ほど過ごす。好きなマンガや本を枕元に置いて、布団にぬくぬくしながらの読書は、インドアの私のレジャー。小学生の頃から、このスタイルは変わらないように思う。心安まるひとときなのだ。
昼食を食べながら、携帯ラジオでTBSラジオの『伊集院光 日曜日の秘密基地』を少し聴く。
トークのゲストは、俳優柄本明さん。伊集院さんのトークに引き出しが上手くて、柄本さんから面白い話を引き出していた。興味深い発言を、書きだしてみよう。思い出し書きだから、ちょっと間違えているかもしれないけれど。
柄本さんによれば、俳優や芸人は、潜在的な失業者だという。仕事の依頼があって成り立つので、依頼がなければただの失業者だ(漫画家や文筆家もそうであろう)。
人は何故仕事をするのかという話題では、柄本さん曰く、何かしてないと自分が何者であるか分からないことになるので、人間は仕事という装置を発明したのではないか。
世間一般に考えられているのは、資本主義経済に生まれたという観点で、仕事がない=収入がない=死である。だから仕事をするのだろう。しかし人間の実存の問題から考えると、柄本さんの発言はなかなか興味深い考えだろう。何もしていない自分には存在価値を感じられず、仕事を持つことでとりあえず自分の存在価値が見いだせる。実存としての仕事観である。
私が苦しんでいるのは、社会から必要とされてない存在ということもある。漫画の仕事があったりすると、自分の存在が必要とされており、自分の存在価値があるように感じられ、安心出来る面がある。「我思う。故に我あり」ではなく、「仕事ある。故に我あり」という感じだ。
だからといって、履歴書書いてバイトの面接を受けるというプロセスに恐怖があり、出来ない私なのであるが。でもここままだと、経済的にも実存的にも「死」が目の前に近づいてくる・・・。
漫画の仕事にかかったのは、夕方頃から。取りかかりが遅く、あんまりはかどらなかったけれど。イカンなぁと思いつつ。
作画にコンパスが必要だったが、机の上の山になっている物の下に埋まっているので、発掘作業。色々な物が捨てられずにあったので、いくつかゴミ箱にぶち込みつつ掘り進む。アッ、あった。
それにしても少し机の上の物がなくなって、気分が少し良くなった。広々とした大きな机で絵を描く夢を見るくらい、綺麗な机に憧れるのだ。そろそろ掃除をしなければ。引っ越しに匹敵する、巨大な事業だ。
その前に、今やっている漫画を仕上げねばならない。
昼食を食べながら、携帯ラジオでTBSラジオの『伊集院光 日曜日の秘密基地』を少し聴く。
トークのゲストは、俳優柄本明さん。伊集院さんのトークに引き出しが上手くて、柄本さんから面白い話を引き出していた。興味深い発言を、書きだしてみよう。思い出し書きだから、ちょっと間違えているかもしれないけれど。
柄本さんによれば、俳優や芸人は、潜在的な失業者だという。仕事の依頼があって成り立つので、依頼がなければただの失業者だ(漫画家や文筆家もそうであろう)。
人は何故仕事をするのかという話題では、柄本さん曰く、何かしてないと自分が何者であるか分からないことになるので、人間は仕事という装置を発明したのではないか。
世間一般に考えられているのは、資本主義経済に生まれたという観点で、仕事がない=収入がない=死である。だから仕事をするのだろう。しかし人間の実存の問題から考えると、柄本さんの発言はなかなか興味深い考えだろう。何もしていない自分には存在価値を感じられず、仕事を持つことでとりあえず自分の存在価値が見いだせる。実存としての仕事観である。
私が苦しんでいるのは、社会から必要とされてない存在ということもある。漫画の仕事があったりすると、自分の存在が必要とされており、自分の存在価値があるように感じられ、安心出来る面がある。「我思う。故に我あり」ではなく、「仕事ある。故に我あり」という感じだ。
だからといって、履歴書書いてバイトの面接を受けるというプロセスに恐怖があり、出来ない私なのであるが。でもここままだと、経済的にも実存的にも「死」が目の前に近づいてくる・・・。
漫画の仕事にかかったのは、夕方頃から。取りかかりが遅く、あんまりはかどらなかったけれど。イカンなぁと思いつつ。
作画にコンパスが必要だったが、机の上の山になっている物の下に埋まっているので、発掘作業。色々な物が捨てられずにあったので、いくつかゴミ箱にぶち込みつつ掘り進む。アッ、あった。
それにしても少し机の上の物がなくなって、気分が少し良くなった。広々とした大きな机で絵を描く夢を見るくらい、綺麗な机に憧れるのだ。そろそろ掃除をしなければ。引っ越しに匹敵する、巨大な事業だ。
その前に、今やっている漫画を仕上げねばならない。