今回は長いですよ。ご了承下さいまし〜。
昨日の映画で疲れていたのだが、朝6時起床。川崎市民ミュージアムで開催されている『大(Oh!)水木しげる展』を観るため。実は昨年同じ物を江戸東京博物館で観た。今回は、水木ファンということもあるし、本日は直木賞作家でこの展覧会のプロデュースした、京極夏彦さんの講演会があるのだ。これは観てみたい。普段妖怪のように♪朝は寝床でグーグーグーなので、早起きは辛い。でも午前9時30分から講演会の整理券を配るので、なるべく早く行かないと券をゲットできない。寒さに萎える気持ちを奮い立たせて電車に乗り込んだ。母が運賃の足しにと、Suica(スイカ)を貸してくれた。ありがたや。

↑川崎市民ミュージアム。
川崎市民ミュージアムに着いたのは、午前10時20分頃。ダメかと思ったら、なんとか整理券をゲットできた。整理番号、241番。定員は250人らしいから、あと10分遅かったら早起きの甲斐がなくなっていた。セーフ。熱心な水木ファン、妖怪ファン、京極ファンが多いと実感。

↑チケット。

↑整理券。
講演会は午後2時から。まだまだ時間がある。それまでゆっくり展覧会を楽しもう。
会場に入ると、日曜日ということもあり、なかなか盛況。展示物は前回とほぼ同じ物なので、興味のある生原稿などを重点的に鑑賞。曲がりなりにもイラストやマンガを描いているので、どういう筆致で描いているか、興味があるのだ。
前回観た時には魅力に気づかなかったのが、水木さんのコレクションの展示と写真の展示。
水木さんが世界各地をめぐってコレクションした、妖怪(精霊?)の立体物の数々。木彫りが多いみたいだ。数々の異形物のコレクションは、ちょっと見は気持ち悪いが、素朴でどこか愛嬌があるものが多い。幼き頃から数々のコレクションをしてきた水木さんだが、ずらっと並んだ妖怪像を観ると、どれも水木マンガに出てきそうな風貌のものばかり。水木さんの世界に近い物が、吸い寄せられるように彼の元に集まったようだ。似たもの同士が、惹かれ合ったのかもしれない。
写真のコーナーは、水木さんが世界各地をめぐって激写した、写真の数々。妖怪的なものを感じたら、次々とシャッターを切っているようだ。例えば木の木目が妖怪らしいと感じたら、突撃してバシャバシャ連写するらしい。全ては、作品制作のための資料だそうである。
彼の目で切り取られた自然は、やはり水木さんらしい絵になっている。他の人が撮ったら普通の自然物でも、彼のファイダーを通すとたちまち妖怪的になる。不思議だ。
妖怪好きの水木さんだが、写真は妖怪的と感じられる被写体を絵の資料として撮っていて、決して心霊写真の類に走ってないのが良いと思う。オカルトに走らないところが、彼が万人に開かれたメジャー性を獲得できた要因の一つだと思う。
全体を2回ほどめぐって、そろそろお腹が空いてきたので、昼飯にする。朝ほとんど食べないできたので、お腹がぺこぺこなのだ。その日だけなら展覧会へは再入場可なので、安心して退場。市民ミュージアム内のレストラン「つばき亭」へと向かう。そしたらお昼時で大混雑。順番待ちの列ができている。少し時間をずらせば入れるかなと思い、売店を覗いた。

↑売店。
図録は前回とほぼ同様で持っているので、購入を控えた。ほぼ同じというのは、今回の展覧会用に追加展示物の紹介付録が付く点が少し違うからだ。でも付録のためにまた2,000円払うのは金銭的に辛かったので、買わなかった。代わりに、『水木しげる記念館の公式ガイドブック』というのを買った。鳥取の境港にある水木さんの記念館のガイドブックである。1,500円也。
「つばき亭」に戻ると、列が小さくなったので、並んだ。20分ほど待って、順番が来る。日替わりランチを注文。本当はカツカレーとか食べたかったのだが、ブログレポート向けにはここならではの品が良いと思い、ランチにした。

↑日替わりランチ。
味は、まぁまぁというところか。820円というのは、ちょっと高い気もする。期待した酢豚風の唐揚げは、もう一つパンチがない。サラダにリンゴが入っているのがちょっと許せなかった。おかずの種類が多いのは良いが、量が皆一定なのは不満。唐揚げとサラダの量的扱いが同じというのは、ちょっとどうなんだろう。幕の内弁当感覚なのかな。おかずの種類は多くて良いが、メインとサブという量的に差をつけた方が、ランチとしてはアクセントになって良いと思うんだが。
昼食をすませると、講演会参加者は入場口に集まるようにという場内アナウンス。もう並ぶのか。まだ開始45分前である。

↑通路に集まるファン。
20分ほど待たされて、会場内のすり鉢式の会場に着席。最後の方の整理番号なので、最上段の最後方列に座る。一応デジカメを用意しているが、講演中は撮影禁止のアナウンス。

↑講演会開始前の会場の様子。
午後2時、京極さん登場。眼鏡にグレーの着物に、手には黒いグローブ。いつもの妖気漂う(京極ファンの方失礼)出で立ちだ。
この企画展のプロデュースを依頼された京極さんと作家の荒俣宏さん。単なる原画展にしてしまっては、弟子である我々は大(おお)先生=水木さんに申し訳ないと考えた。そこで、我々は水木作品に惹かれる以上に、水木さん自身が非常に魅力的で面白いことに思い立ち、水木さんそのものを体験できる展示構成にしたようだ。
なるほどこの展覧会は、水木さんの人生を生い立ちから現在までを縦軸にして、少年時代からのコレクションや絵の展示を横軸にしている。なんと70年前の小学生時代の絵や、新聞のタイトル文字の切り抜きスクラップなどのコレクションが残されている凄さ!
妖怪や数々のコレクションや絵を描くことなど、水木さんの嗜好は幼い頃から83歳の今に至るまで、全く変わっていない。睡眠と食欲を大事にすることも、全く変わらなかった。太平洋戦争下の過酷な軍隊時代にも、それらは揺るがなかった。
水木さんは、ただひたすら自分の好きなことをし、また自分の好きなことを万人に好きになってもらうための努力をしてきたと京極さんは語る。
水木さんと付き合うと分かるらしいが、彼は手塚治虫以上のリアリスト(現実主義者)らしい。死んだらおしまいだ、負けだと思っている。生きているからこそ、楽しい思いもできるし美味い物も食える。生きているうちから、あの世のことを考えるのはばかばかしいと考えてる。
昔取材で心霊写真を見せられて感想を求められた彼は、「写真に霊など写ってたまるか。」と言ったという。死後の世界の霊のことなど、考えても仕方がない。生きている今が全てというリアリストなスタンスなのだ。
私はオカルトに走っていないところが水木さんをメジャーに押し上げた要因の一つだと述べたが、やはりそうだった。妖怪は創作物であることを、リアリストの水木さんは知っている。オカルト的になると、どこか密室的・閉鎖的になってしまう。カルト的な信者にしか理解されぬ存在になりかねない。
彼は妖怪は見えないが、確かにいると言う。それは『気配』だと言ってたと記憶している。
妖怪は、今や日本で知らぬ者はない存在だが、それは水木さんの戦略の賜(たまもの)だという。水木妖怪マンガが世に出る前、『妖怪』という言葉がない時代から、様々な文献や言い伝えで妖怪はいた。彼は様々は文献や伝聞などを収集・研究し、これは妖怪だと判断した物を、マンガやテレビを駆使してメディアに登場させた。
まず『悪魔くん』を実写テレビ化して、当時流行っていた怪獣に似たものとして妖怪認知の下地を作る。そして『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ化で本格的に妖怪を世に広める。
番組関連グッズも、妖怪を広める手段だ。『ゲゲゲの鬼太郎』は8〜10年周期で4度アニメ化され、その度にファンを増やす。アニメ第1部の視聴者が子供を持つ世代になる第3部では、グッズが大量に生産される。親は子供の頃に観た鬼太郎グッズを子供に買い与えて、妖怪は継承されていく(関連グッズの売り上げは38億円だったとか)。第4部では、パチンコやゲームにも鬼太郎や妖怪達が登場。故郷の鳥取県境港に水木ロードができるのもこの頃。こうして色んな手段で妖怪を世に浸透させていく。

↑展覧会場外にあった鬼太郎の家。

↑その内部。鬼太郎のチャンチャン
コが見える。
水木さんは常に努力して、妖怪を世に広める努力をしてきた。彼はよく「なまけなさい。」と公言しているが、その実上記のようにとても勤勉家だそうだ。マンガの仕事の少ない時期には、アシスタントに背景画のストックをさせて、それがその後数々のマンガや妖怪画の仕事に生きた。彼はリアリストだ。40代まで売れずに貧乏生活が長かった彼は、いかに食うに困らないようにするかを勤勉に実践しているのだった。京極さんの解釈では、「なまけなさい。」の真の意味は、なまけても食えるように努力せよという意味だ。
前向きな現実性+戦略性+超楽天的性格+絶え間ない努力=水木しげるだと、京極さんは力説。そんな水木さんが広めたあるいは生み出した妖怪は、とても前向きでポジティブな存在である。妖怪は、水木さんのポジティブな生き方そのもの。妖怪は、水木しげるなのだ。
私ごとだが、私は幼い頃『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメが大好きだったが、本格的に水木作品にのめり込んだのは、ひきこもってからだった。運動不足からぶくぶくと太り、毛も抜けて、容姿が醜く崩れていった私は、水木作品の醜い妖怪達に心惹かれるようになった。子供の頃のノスタルジーもある。非常にネガティブだった(今もそうだが)心の私に、水木妖怪達の陽性さには、心の明るくなる思いだった。陽性の水木さんの描く妖怪だからこそ、私は妖怪が好きになったのだろう。というか、単なる妖怪好きではなく、水木さんの描く妖怪が好きなのだ。
京極さんや荒俣さんなど水木さんと親交のある人達は、彼と付き合うことで非常に幸せな気分になるという。水木しげる=妖怪を嗜好することは、幸せな気分になれるのだ。そして妖怪を嗜好することは、ナショナリズム的ではない、日本好きになる道につながるという。私は最近の右傾向の世の中に不安を感じているが、妖怪に触れると日本って良いなぁと心に染みるように思ってしまう。権力からの押しつけられる愛国心より、心の抵抗無く日本への愛着が了解できる。
妖怪の正体は、水木しげるだった。彼の妖怪普及の恩恵を我々は受けているのだ。そして水木妖怪というポジティブな存在に親しむことで、幸せになれる。どうか妖怪を楽しんで、ポジティブに明るい気分で生きて下さいと京極さんは締めた。
公演時間は、1時間15分。作家であるにもかかわらず、ユーモアを交えて非常に堂々と雄弁に語る京極さんだった。
講演会が終わり、もう一度展覧会場をめぐってみた。会場にみなぎる水木しげるのエキスを吸って、いつかは私も愉快な妖怪マンガが描きたいなぁと思った。そのためには妖怪みたいに怠けちゃいけないのかもしれない。水木さんのように、自分が好きなことをし、それを他人にも好きにならせる努力をするという姿勢を見習わなくちゃいかんなと、怠惰な自分を少し反省したのだった。

↑ミュージアム最寄り駅の武蔵小杉駅にあった看板。