2014年09月18日

『日本SF展 SFの国』@世田谷文学館(東京)

 『日本SF展 SFの国』に行ってきました。開催場所は、世田谷文学館。

 世田谷文学館は、京王線、芦花公園駅南口から、歩いて10分くらい。住宅街の中にあります。

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↑世田谷文学館。

 久しぶりだな、ここ。

 『日本SF展 SFの国』は、日本のサイエンス・フィクションの歴史を振り返る展覧会。

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↑『日本SF展 SFの国』ポスター。

 メインは昭和30年代以降のSF小説や雑誌から、テレビ番組、手塚マンガ、円谷特撮、大阪万博など、広いくくりでの我が国の、SFの歴史を見ていくというもの。

 展示は、SF雑誌表紙や、イラスト原画展示、直筆原稿展示等々。

 ショーショートで有名な星新一(1926〜1997年)の、草稿が展示されてましたけど、文字の小ささにビックリ!

 文字幅2mmくらいで、わら半紙にびっちり書き込まれてます。

 それで原稿は普通に、小学生が作文で使う400字詰め原稿用紙に、普通に書いてます。

 未来画で有名なイラストレーター・真鍋博(1932〜2000年)の原画が見られたのも良かったです。


 今で言う、llustratorのペジェ曲線の均一なラインで描かれたような線で構成された未来都市は、今また、新鮮な驚きがあります。直線と曲線、そしてカラフルな色彩で構成される、懐かしい未来像。

 筒井康隆のデビューのきっかけが、『NULL(ヌル)』という同人誌というのはうっすい知識であったんですけども、その同人誌が家族(お父さんと弟)で作っていたものだったというのは、今回初めて知りました。へぇ。

 それが江戸川乱歩の目に止まって、商業誌デビュー。

 伝説の編集者・大伴昌司(1936〜1973年)が構成した、大阪万博『EXPO70'』のリポートも良かったなぁ。

 各国パビリオンの写真の切り取り方=トリミングのセンスが、斬新というか、抜群。真っ青な空に向かって、赤、青、緑、黄色のポールが下から放射状に伸びるカットは、インパクト大。こういうトリミングは、今ないんじゃないかな。

 『20世紀少年』でお馴染み、マンガ家・浦沢直樹のデビュー前、高校時代のマンガ原稿の複製が展示されてましたけど・・・上手すぎる!

 絵のタッチは、劇画タッチに変わった晩年の手塚治虫の絵ですね。高校生なのに、超絶上手いけど、老成しているというか。

 私は正直、小説は読まないし、SF小説も読まないんですけども、挿絵は好きなんです。

 なのでこの展覧会を見に来たんですけども、小松左京や草創期からの生粋のSF小説好きならば、何倍も楽しめる展覧会じゃないでしょうか。

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↑撮影OKスポット。アトムやウルトラマン、ゴジラ、太陽の塔(大阪万博シンボル)、黄色いロボットは・・・なんだっけ?

 世田谷文学館の図録は、通販が可能で、この『日本SF展 SFの国』のそれも通販出来るので、行けない方は、利用されてはいかがでしょうか。

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↑図録。付録に、大伴昌司構成の、サンダーバード基地図解が付いてきます。


※眉村卓のジュブナイルSF小説を原作とした、映画『ねらわれた学園』(1981年/大林宣彦監督)予告編をどうぞ。

 角川が売り出した薬師丸ひろ子と、ユーミンの主題歌「守ってあげたい」が印象的。

 あと、峰岸徹の怪演くらいしか、印象に残ってないんですけども(汗)。

ねらわれた学園

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posted by 諸星ノア at 21:46| 展覧会めぐり

2014年09月07日

『川瀬巴水展−郷愁の日本風景』@川越市美術館(埼玉)

『川瀬巴水展−郷愁の日本風景』に行ってきました。

 場所は、埼玉県。川越市美術館。

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↑川越市美術館。

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↑看板。

 川瀬巴水(かわせ・はすい/1883〜1957年)は版画家で、今年になってネットでその版画を見てから、興味を持っていたのでした。

 巴水は、大正から昭和にかけて、東京を中心とした日本各地の風景を版画に残した人で、透明感のある青色が印象的な作風なんです。

 それと、穏やかな清涼感と、静寂さが感じられると言いますか。

 川瀬巴水は、師匠の日本画家・鏑木清方(かぶらき・きよかた)のように美人画が描けずに行きづまっていたところ、同門の伊東深水(いとう・しんすい)の版画「近江八景」に影響を受けて、版画家へ転向したそうです(以上、ウィキより)。

 ちなみに伊東深水は、女優・朝丘雪路のお父さん。
 
 巴水は、新時代の浮世絵を模索する浮世絵商・渡辺庄三郎の協力の元、独創的な浮世絵版画を次々と発表し続けていったのでした。

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↑絵はがき「東京二十景 明石町の雨後(昭和3年)」。


 私は浮世絵のことはほとんど知らないんで、今回展示で驚いたことが多かったです。

 まず巴水は、版画の元になる絵、完成予想図を、水彩画でびっちり描き上げてます。もうこれで完成で良いくらいの出来上がりです。

 ここから薄い和紙をトレーシングペーパー代わりにして、墨で主線を写し取ります。

 ここからは、彫り師が写し取った主線を元に、板に主版を彫っていくわけですね。

 さらに驚くべきことに、色刷りの工程が、多い物で42工程もあること!

 パーツ事、陰影ごと、色事に、慎重に色を刷り上げて行く様が、ビデオ上映で紹介されてました。

 薄い色から、段々濃くしていく感じですね。水彩画の塗る順番みたい。

 今デジタルで絵を描く人なら、例えば色や陰影などをレイヤー(階層)に分けて、全体の色味を調整しながら制作するのと、感じが似てる気がします。

 ただ彫った版木は修正は効かないでしょうから、そこは職人的な熟練の技が必要でしょうね。デジタルソフトのように、誰でも簡単に修正できるもんではないでしょう。

 深く、それでいて透明感のある色は、気の遠くなるような色刷りの工程を経て、刷られているわけですね。

 
 そんなわけで、鑑賞終了−。


 お腹が空いたので、美術館隣の博物館にある、「山吹」というお食事処へ。

 昼時だったので、家族連れや、シルバー世代が多くいました。

 日替わりランチが、ハンバーグ定食だったので、それをオーダー。

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↑ハンバーグ定食。

 隣でお母さんと一緒にいた4歳くらいのオチビちゃんに、「ボクとおんなじハンバーグだね〜」と話しかけられつつ、食す。デミグラスソースで、少し小振りのハンバーグだけども、普通に美味しいです。

 小鉢で冷や奴がついてるのが、家庭的で嬉しいランチでした。800円。


※朝丘雪路さんが、『アルプスの少女ハイジ』のハイジ役で出演「エースコック スープはるさめ」CMです。

エースコック スープはるさめ「ハイジ登場」 比嘉愛未 速水もこみち 朝丘雪路


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2014年04月29日

『武井武雄の世界展』@高島屋横浜店8Fギャラリー

 武井武雄の生誕120年を記念した展覧会『武井武雄の世界展』を見てきました。

 場所は、高島屋横浜店8Fギャラリー。


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posted by 諸星ノア at 18:20| 展覧会めぐり

2014年04月22日

『MOOMIN! ムーミン展』@松屋銀座8F

 所用で東京へ行くついでに、松屋銀座にて『MOOMIN! ムーミン展』を観てきました。

 作者のトーベ・ヤンソン生誕100周年を記念しての、回顧展。挿絵もトーベが描いているんですけど、その挿絵の原画を展示しています。

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posted by 諸星ノア at 19:18| 展覧会めぐり

2013年02月21日

『原田泰治[ふるさと心の風景]展』

 東京・大手町にある、逓信総合博物館ていぱーくにて開催されている『原田泰治[ふるさと心の風景]展』に行ってきました。

 午前11時半頃、現着。

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posted by 諸星ノア at 22:10| 展覧会めぐり

2008年10月26日

一峰大二原画展 後編

 一峰大二原画展、ギャラリートークの後編です。



 一峰先生と我々は、『黄金バット』(昭和41年)のコーナーへ移動です。

一峰「『黄金バット』は、小学生の頃、紙芝居でやっていて大好きでねぇ。だから、描かせてもらうのは嬉しかった。

 拍子木を叩くと、タダで紙芝居が観られたんです。でも、ガキ大将にその役をとられて、なかなかできなかった。それで、少し離れたところで、紙芝居を観てました」

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posted by 諸星ノア at 21:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 展覧会めぐり

2008年10月25日

一峰大二原画展 前編

 テレビのヒーロー番組のコミカライズでお馴染み、一峰大二先生の原画展が、さいたま市立漫画会館で行われております。

 本日は、一峰先生が来場されて、ギャラリートークが開催されるということで、参加してきました。

 さいたま市立漫画会館は、最寄り駅の大宮公園駅(東武野田線)から近いんですが、周りは住宅街で、探すのに少し苦労しました。



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2007年06月02日

『コーヒーのある風景〜山川直人漫画展』

 爽やかな風にのって、東京・国分寺駅から続く狭い道路を歩く。バスが窮屈そうに、脇を通り抜けていく。
 
 初めて国分寺に行ったのだが、『コーヒーのある風景〜山川直人漫画展』が、ここで行われるために訪れた。場所は、Roofという喫茶画廊。

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↑Roof外観。

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↑看板。

 お昼12時に開店の店。ほぼ開店と同時に、入店。白壁の2階建て。小さなお店である。山川先生の原画展示がある、2階へ上る。階段がとても急だ。

 店内も壁は白く、大きな窓から日の光が降り注ぐ。板張りの、若者向けという感じの店内。開店直後なので、2階には誰もいない。ここは喫茶なので、とりあえず注文しなくてはならない。お昼時だったので、ランチを頼んだ(飲み物付き750円)。メキシンカンタコライスというのを注文。どんなんだろうな。

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↑店内。

 席を離れて、展示作品を観る。複製原稿がほとんどで、生原稿は2枚だけだった。ちょっと残念。それと、カラーイラストが2点、モノクロが1点。

 生原稿を観て嬉しいことの1つは、修正跡が分かること。山川先生は、キャラクターの目を、上に紙を貼って、描き直されていた。失敗というか、修正を知ると、プロも人間なんだと、ホッとする。

 それにしても、ペンのカケアミがとても丁寧で手抜かりがない。一本一本、実に丹念。描き飛ばしてないところが、実に素晴らしい。

 想像だが、山川先生は原稿に対する愛情が高いのではないだろうか。これだけ丹念に描いていることから、そう考える。だとすると、展示に生原稿が少なめなのが分かる気がする。というのは、このギャラリーは陽当たりが良いので、原稿用紙が焼ける可能性がある。カラーイラストなどは、日が直接差し込まない部屋の奥の方にあるし。

 考えてみれば日当たりの良いギャラリーというのは、絵には良いコンディションとは言えない。でも、喫茶店としてはそれは困るだろうから、仕方ないだろうなぁ。

 山川先生の絵とかマンガは、多分儲からない絵であろうと思う。それは価値が低いということではない。大量生産に向かない作風だからだ。アシスタントを使って、効率的に大量に描かれる原稿ではないだろう。多産が効かない絵というか。だけれども、静かにたたずむようにずっとある。流行りもしないが、けして廃れることもない作風だろう。いつまでも淡々と続く線路のように、息の長いマンガ家さんだろう。末永く頑張って下さい。

 注文した、メキシンカンタコライスが来る。アレ・・・。想像したようなものではなく。目を引くのは、ライスの上にちりばめられた生トマト。生のトマトって、あんまり好きではないんだよなぁ。

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↑メキシンカンタコライス。

 ピラフのようなライスの上に、トマト、炒り卵、刻みキャベツ、鶏肉の煮込んだキューブ。肉だけ温かくて、あとは常温。全体的に生ぬるい感じ。添えられた、タバスコをかける。タバスコをかけたせいで、辛くて食がすすむけれど、正直ンまい!という感じではない・・・。好きな人は好きかなぁという感じ。私の舌にメキシカンな食べ物の評価する、部屋がないだけかもしれない。

 しかし・・・。どこら辺がタコだったのだろうか。味音痴かな。

 食後はホットコーヒー。『コーヒーもう一杯』の展覧会ですからね・・・って、ただホットコーヒーが好きなだけですが。

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↑食後のコーヒー。

 周りには2組の女性客。特に山川先生のファンではなさそう。居心地があんまりよくないので、飲んで早々に席を立った。

 このお店は、見たところコックのご主人(推定38歳)と、ウエイトレスが若い奥さん(推定28歳)という感じで、こちらに向けられる笑顔がとても気さくで温かい。

「(記帳用の)ノートに、書かれました?山川先生は、必ず読まれるんですよ〜(笑顔)」と、ウエイトレスさん。記帳は、キッチリしてきましたよ。

 あの夫婦(?)のファミリーな雰囲気が、この店の魅力なんだろう。この夫婦が、そのまま山川先生のマンガに出てきそうな感じ。

 このお店ごと、山川作品のようであった。日向に白く微笑むようなお店をあとにした。

※国分寺と言えば、アニメにもなったマンガ『野球狂の詩』の東京メッツの本拠地。というわけで、アニメ『野球狂の詩』(1977年)のOPをどうぞ。

『野球狂の詩』OP

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2007年02月16日

『みんなのドラえもん展』

 『みんなのドラえもん展』を観に、川崎市民ミュージアムに行ってきた。それにしても、川崎は遠いなぁ。行きがけに偏頭痛の発作が起こり、よけいしんどかった。

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↑川崎市民ミュージアム。

 ひきこもりになってから、どうものび太がひきこもり予備軍のように思え、それが悪い意味で自己同一視してしまい、好きだった『ドラえもん』があんまり好きではなくなったけれど、藤子・F・不二雄先生が好きなので、行ってみた。

 私は生原稿を楽しみにしていたのだが、展示量が少なめなのが残念であった。数は不満だったが、原稿はさすがプロの仕事。綺麗にキッチリ描かれているので、感心する。私はカチッとした輪郭線の絵を描くのだが、その影響はやはり二人の藤子不二雄先生の影響だろうと思う。

 藤子F先生は、ペン入れは人物の顔のみで、身体はアシスタントが入れていたそうだが、初期原稿では先生とアシスタントのペンタッチの違いが分からなかった。後期の作品だと、アシスタントの絵だなというのはなんとなく分かるのだけれども。夢がない見方かな。

 展示作品は、初期の『ドラえもん』の原稿の割合が多く、楽しい。私が好きな『ドラ』は、初期のワイルドな味わいのあった頃(単行本だと6巻くらいまでの)が好きだから。タイムマシンを使った時間ネタの「ドラえもんだらけ」の原稿が展示されていたが、思わず顔がゆるんでしまう。面白い。

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↑「ドラえもんだらけ」扉。

 「おばあちゃんの想い出」の一場面もあったが、泣ける。のび太を愛した、本当に可愛いおばあちゃん。祖母を亡くしたせいかもしれないが、よけいグッと来る。

 それと「さようならドラえもん」。ジャイアンとのケンカに、ボロボロになりながら粘り勝ったのび太。彼をおぶって帰るドラえもん。ドラの目には、滝のような涙。ドラえもんという庇護者から自立しようとするのび太に、今の自分を重ねやすい。自分も本当は、そうあらねばならないのだな・・・。この1ページは、ぜひ手元に欲しい。複製原稿化して頂きたい、私の中の名シーンである。

 のび太はドラえもんの秘密道具を使って、一時は上手くいくが、最後には失敗して終わる。このパターンを藤子F先生が崩さなかったのは、道具や他人に頼ってはダメだということを、繰り返し読者に訴えたかったのだと思う。秘密道具で常に成功し続ければ、のび太は確実に堕落する。のび太が読者の代表でもあるから、読者にも良い影響はないだろう。最終的には、ドラえもんから離れないといけない。子が親から自立していくように。藤子F先生には、長く生きてドラえもんとのび太の別れを、今一度描いて欲しかった。

 現代美術の作家とドラえもんのコラボレーション作品も展示されていたが、いらないと思う。いずれも、ドラえもんや藤子F先生への愛情が感じられなかったから。思い入れのなさが、作品の熱を奪っている感じ。

 それでも唯一良かったのは、写真家・蜷川実花さん(演出家・蜷川幸雄さんの長女)の作品。「ドラえもんとデート」というタイトルで、蜷川さんがドラえもん(着ぐるみ)と、公園などで楽しそうにデートする姿が活写されている。ドラえもんへの愛情が、ダイレクトによく伝わってきて良かった。女性は肉感的というか、愛の対象と直接触れあえることが大事なのかと感じる。

 2時間以上かけて来た思い入れがあるので、展示数は少ないのが残念だったけれども、『ドラえもん』が好きだった頃の自分に戻れたので、良かったかな。素直だった頃に。

 それと、この展覧会独自の図録がないのが残念だったが、代わりに平成元年にここで行われた「藤子不二雄の世界展」(やってたの知らなかったよ〜)の図録が安く売られており(400円)、ゲットできて良かった。

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↑実物大(?)どこでもドア。

※懐かしの、日本テレビ版『ドラえもん』をどうぞ。

 日本テレビ版『ドラえもん』

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2007年01月28日

勝川克志原画展

 東京・阿佐ヶ谷。初めて下車する駅だ。目指すは、対山館(たいざんかん)。画廊喫茶。ここでマンガ家の勝川克志先生の、原画展が行われている。本日は、先生がいらっしゃるということで、勇んでやってきた。

 対山館は、とっても小さな喫茶店だった。一度は前を通りすぎて、気づかなかった。まことに、慎ましい外観である。入ると、席は10席ほどしかない。壁に、先生のカラー作品が、展示されている。喫茶と画廊部分が分かれているのかと思っていたが、渾然一体となっている。

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↑対山館外観。

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↑告知ポスター。

 ヒゲのおじさまがいて、先生かと思って声をかけたが、人違いであった。ごめんなさい。とりあえず、展覧会案内状に美味いと記してあった、カレーセット(カレー、サラダ、飲み物)を注文する。周りはほぼ満席である。壁の振り子時計は、午後1時半。ゆっくりと時間を刻んでいる。

 カレーライスは、お店で出すカレーとしては珍しく、ジャガイモがゴロゴロ入っている。私はジャガイモ大好きなので、こうでなくっちゃと思う。カレーはちょっと甘口だったので、辛党の私にはちょっと物足りない感じではあった。でも、家庭的なホッとするカレーである。お店の雰囲気同様、慎ましい感じのカレー。東京のカレー店は、体外パンチの効いた味が多いので、こういう優しいカレーは貴重だろう。

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↑カレーセット。

 カレー完食後、飲み物のブレンドコーヒーをすする(飲みのはチョイスできる)。先生が来そうもないので、なんとなく黙って待っているのも気まずい。思い切って、隣に座っていた青年に声をかけてみた。彼は、聞けば大学生ということで、驚いた。先生に失礼だけれども、こんな若い読者がいるんだって。児童書の挿絵で先生を知り、それ以来ファンなのだそうだ。

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↑セットのブレンド。

 店のご主人によれば、先生は今日の朝までお仕事で、お昼過ぎまで休んでいらしたそうだ。到着は、午後3時頃だという。参った・・・。今日は午後4時から神保町・書泉にて、アイドル・彩月貴央ちゃんの写真集発売記念イベントに参加の予定。しかし完全にこちらの都合・わがままなので、先生はなんにも悪くはないのだけれど。先生にお会いして、持参した著書にサインを頂きたいし、そんなチャンスはこれが最初で最後だと思うので、先生の到着を待つ。時に、午後2時半。

 店内が少し空いてきたので、カラー原画に近寄って、拝見。プロだから当たり前だが、全く修正の跡がない。一発で、バチッと描かれている。彩色の筆運びも、全く迷いなくスッキリ塗っている。プロはすごいなぁ。

 一枚一枚、それぞれに世界があり、物語がある絵で、宝箱のような小宇宙がたくさん展示されているようだ。展示原画は、同時に販売もされており、もうほとんど売却済みとなっている。私もお金があれば、手元に置きたい絵達。先生は一点一点精魂込めて描かれているのが分かるので、子供を手放す心境なのではないだろうか。

 いよいよ、勝川先生がご到着。丸っこいふくよかな自画像を見ていたので、実物はアゴがシュッとした体型なのに驚いた。早速先生に、アタック。

 すると先生は、私の名前(本名)をご存じで恐縮だった。先生主催のミニコミ『のんき新聞』の読者であり、年賀状を差し上げた時のイラストで覚えて頂いたようだ。交遊が広い先生に名前を覚えて頂いて、とても嬉しい。

 すかさず、持参した著書にサインをしていただく。今にして思えば、到着早々休む間を与えなかったのは、失礼だったけれど。『ひらめきラメちゃん』(ふゅーじょんぷろだくと)、『まぼちゃん旅行記』(ヒット出版・絶版)、『豆宇宙珍品館』(たざわ書房・絶版)、それと『ぜんまい小僧』(出版社名、難しくて読めません。絶版)。この『ぜんまい小僧』は、この日対山館にて売られていた本で、持っていなかったので、これ幸いと購入。すでにサインが入っていたが、日付を入れて頂く。

 先生は、サインの他に小さなカットを添えて下さり、とても対応が丁寧で嬉しかった。作風と同じで、優しい方なのだ。記念のサインとなった。

 笑顔で気さくに話もして下さり、大変嬉しかった。最後にガッチリ握手。気がつけば、店内のほとんどのお客が、先生のご本を取り出して、サインを待っていた。大学生の彼も、持参している。ファンの人は、考えることが同じです。

 もうすぐ4時。急いで神保町へ行かねば。先生と、大学生の彼(話題の乏しい私の話し相手してくれて感謝)に挨拶して、その場を後にした。イベント開始には間に合わないけれど、全然大丈夫。心温まる出会い・交流で、心は軽やかであった。小春日和の夕暮れ近く。

―続きます―

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2006年11月12日

少年の憧れ

 少年の頃、親しんだプラモデル。その箱絵=ボックスアートは、空気のように何気なく、私の身の回りにあった。

 画家の小松崎茂さんの名前は、小学校高学年頃知ったが、身近なプラモの箱絵を描いているとは、随分後年になってからだ。それほど、名前ではなく、まず絵に親しんでいた。名画のように高みになく、何気ない少年の身近にあった絵という感じだ。

 逓信総合博物館(最寄り駅は、地下鉄大手町駅)にて、小松崎茂さんの画業を振り返る展覧会が開かれており、観に行った。『ぼくらの小松崎茂展』。

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↑逓信総合博物館。

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↑看板。

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↑チケット。余談だが、ここの案内嬢は、美人が多く、ちょっとときめいてしまった。

 お昼頃着いたのだが、客層がアダルト。見た目30代以上のオジサンが多い。太ったアキバ系というのも多い(私もだ)。子供連れのお父さんも多く、子供そっちのけで、お父さんが夢中に観ている。

 大正4(1915)年生まれの小松崎さんは、小さい頃からメカ好き。いじめられっ子だったが、軍艦の絵が上手かったことで、ガキ大将達から認められた経験があった。

 軍艦や戦闘機が好きだった彼は、戦中は軍から戦意高揚のイラストを多数発注される。小松崎さんは、好きなメカ=軍艦や戦闘機が描けるということで、ドンドン引き受ける。反戦の思想というより、とにかく好きなメカが描けることの喜びが大きかったようだ。ある時、軍に「B-29が撃墜されている絵を描け」と言われB-29の写真を手渡されると、彼は思わず「良い飛行機だなぁ」と呟いてしまった。それから軍人からこっぴどく説教されたそうだが、彼のメカ好きというのは、子供のように無邪気だったことがよくわかる。

 戦後師匠の日本画家堀田秀叢に、「戦意高揚画をたくさん描いて軍に協力したのだから、戦犯だ」と指摘され、自分の無邪気さに愕然とした。

 しかし、子供の夢になるような物語を描いて罪滅ぼしをしようと、子供向けの絵物語を描く。絵物語が衰退後は、雑誌の口絵図解、さらにプラモデルブームに乗って、箱絵でも活躍が広がっていく。

 小松崎さんの絵は、とにかく力強く、見る者へグングン飛び出して迫ってきそうな構図が多い。メカが前へ前へ、突き進む絵が多い。メカ好き、ミリタリー好きという少年期にありがちな憧れが、そのまま画面に溢れているようだ。戦争への悲惨さとか、そういう思想というより、好きな物は好きという発想だ。イノセントだというか。

 展覧会に集まった人達は、今も少年の気持ちやイノセントさが、どこかに残っているのだろう。観客には、ニューハーフらしいミニのタイトスカートの男性(女性?)がいた。服装や心は女でも、少年の心が残っていると思われた。

 絵物語など、ペンで描かれたものを見ると、とにかく描線がたくさん引かれ、細かい。メカもさることながら、人物や馬などの動物も、確かな形をとらえている。誠にデッサンやスケッチの量の多さが分かる。画面密度の高い絵で、しかもこなす量が多い。すごいことだ。

 カラーのイラストでも、メカはタブローの様に隅々までキッチリ描きこまれ、マスコミの美術とは思えないほどの手の込みよう。不眠不休で描いていたと言われるが、それも頷ける。

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↑展示会場外にあったもの。念のため。

 小松崎さんの若い頃は画材は今ほど良い物がなく描法も多様でない時代だったからこそ、確かなデッサン力、描写力というものが身に付いたのではないだろうか。

 私的は、絵物語などのタイトルが気になった。レタリングしたタイトル文字は、絵の原稿とは別の紙に書いておき、絵が描き終わった後に、上から張り付けている。こうしておけば、タイトル部分に気を取られず、絵をノビノビ描くことができる。パソコンでは絵と文字の組合せは、いとも間単にできるが、その昔はこうい工夫がされていたのだな。

 建物から出ない限り、展示コーナーへの出入り自体は自由。売店に行って、グッズを見ると、この展覧会の図録がある。2,300円。展覧会へ行くと常に図録はデフォルトで買っていたが、今日はあいにく持ち合わせが少ない。これを買うと、昼飯が食べられない計算になる。そのくらいしか持ってないのだ。

 午後1時半を過ぎて、とにかく腹が減って仕方がない。図録は後々、家でも見返して勉強できる。でもとにかく食いたい。う〜ん。

 え〜い、飯だ!建物内にある食堂(?)へ、ゴー。ポークカツカレーを頼む。750円也。

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↑建物内にある、LUCKという食堂。

 出てきたカツカレーだが、カツが三切れしかない。ルーには、何も入っていない。卵スープと見に野菜サラダが付くけれど、これで750円はなぁ。味も、特に特筆するものではなかった。

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↑野菜サラダ&スープとポークカツカレー。

 ともあれ、腹が満たされて、満足はした。外は寒い風が吹いている。暖かい食べ物は、やはりありがたい。

 太平洋戦争時代は、画家など芸術家は食うためには軍に強力することが珍しくなかったそうだ。やはり空腹には勝てぬ。小松崎さんも、とにかく画家で食いたいという意識が強かったそうだ。メカ好きだったことに加え、食うために軍に協力した面も大きいだろう。私だって、もしそのように追いつめられれば、自分の思想を無視して、食える道を選びかねないだろう。まさにこの日、図録より、カツカレーを選んだのだから。

 図録を買えない分は、何度も展覧会場に出入りして、目に焼き付けた。少年の憧れ、未来への夢の乗り物、建物に夢を馳せた。時刻は、午後3時。さぁ、これから神保町へ移動。少年の憧れから少女へ憧れる中年ヲタクに変わり、少女に会いに行く。ジュニアアイドル・加藤美月ちゃんのイベントへゴーだ。

―続きます―

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2006年09月22日

疾走するイメージ、拡散していく作品

 岡本太郎美術館を後にして、小田急線向ヶ丘遊園から、特急で代々木上原駅へ。そこから地下鉄千代田線に乗り換え、表参道駅へ。

 夕暮れ時だったが、オシャレな街並み、颯爽と歩くビジネスマン、背の高い、外国人。美人でオシャレでセクシーなOLさん達。女性は本当に、フェロモン漂う感じで、思わず見てしまう。

 そんなオシャレで勝ち組溢れる街に、青山ブックセンターはある。早速横山裕一さんの作品展示スペースへと向かう。

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↑青山ブックセンターの告知ポスター。

 展示スペースは、長さ5mくらいの壁が二つ。そこに、B5のイラストボードが、40枚くらいダーッと整然と飾られている。一枚一枚じっくり描き上げたという絵でなく、走り描きのような、イメージを定着させただけという絵が、たくさん並んでいる。一枚あたり、15分くらいで描いたような感じ。どれも独特の光りを放っており、しかもその光りに、少し狂気を感じる。

 わき上がるイメージを、とにかく早く、たくさん描くことで、自分のイメージを世界に拡散させていくことを目的にしている風に感じだ。展示スペースには、棚があるのだが、そこにB3くらいのサイズの黄色いクリアファイルが、2冊置かれている。そこには、マンガの生原稿の切り取ったものから、カラーイラストまで、販売目的の作品が入ったファイルだった。なんというか、自分の作品を大切に保存するという発想はなくて、作品も色んな人の手に渡ることで、自分の世界を拡散させていきたいのかと想像する。

 私などは、自分の作品を切り刻むことなど、考えられないことだ。自分の分身、自分の思いがつまったものだから、ぞんざいに扱えない。しかし横山さんは、自分の作品というものを、守り保存するという発想がないのかもしれない。一端イメージを紙に定着させれば、描かれた作品に対するこだわりはなくなって、また次の作品、次のタブローに構想に意識が行くのではないか。

 疾走するイメージ。とどまらずに、次々と画面に定着させ続ける創作姿勢。生み出されたもの達は、人手に渡って拡散しても構わない。それらは、すでに過去のものだ。とにかく前へ、未来へ向かって走り続ける姿勢のようなものを感じた。

 せっかく直筆の作品が買えるチャンス。値段は、モノクロのマンガ原稿の断片が一番安くて、千円。一番高いので、2万円くらいだったかな。そこまでは手が出ないから、安いマンガ原稿を求めた。今回の展覧会『わたしたち展』は、横山さんの初のカラー画集の発売を記念して行われているのだが、画集は1冊六千円。手持ちがないので、これもまたの機会に手にしたいと思う。

 横山作品を買うと、もれなく描きそんじの生原稿がオマケでつくそうで、ラッキー。こうして私の手にも、横山さんの世界が広がった。

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↑ゲットしたマンガ原画。

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↑オマケの描き損じ原稿。
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2006年06月23日

私が覗いたオジサン達

 舞台美術家であり、グラフィックデザイナー、イラストレーターの妹尾河童(せのおかっぱ)さんの展覧会が、東京新宿・紀伊国屋書店の画廊で開かれている。今日は、河童さんのサイン会が行われる。河童さんのイラストルポ『河童が覗いたインド』など、覗いたシリーズのファンなので、サイン会に出向いた。

 画廊に着いたのは、午前10時40分頃。小さなスペースの画廊には、まだ人はまばら。サイン会は、午後3時から。整理券など配られていたら困るので、早く来たのだ。係の女性にサイン会への流れを訊くと、お客さんがどのくらい来るか分からないから、開催時間が近づかないと分からないという。それで時間を置いて、出直す。

 今日は他にも用事があって、まずは先日作った坂田知美ちゃんフィギュアを入れるケースを買うこと。新たなフィギュア用の木製ベース(台座)を買うこと。お昼は神保町の有名なラーメン屋『さぶちゃんラーメン』をチェックすること、などなどをこなす予定。

 中央線で水道橋まで移動。昼時で学生やサラリーマンで混み合う通りを抜けて、『さぶちゃんラーメン』へ。神保町通いは、予備校生からだから結構通っているのだが、この有名店は一度も入ったことがなかった。昼時いつも列ができていて、並ぶのが億劫で今日まで足が向かなかったのだ。

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     ↑案内の看板。

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  ↑いつも長蛇の列。

 今日も店の外に数人の列ができている。15分くらい待ち、やっと入店できた。ここは、「半ちゃんラーメン」が有名らしいことは聞いていたので、それを注文する。醤油ラーメンと半チャーハンのセットのことだ。

 店内は本当に狭くて、カウンター席が6席ほどで、すぐ目の前が厨房。オヤジさんと女性(娘さん?)の二人で切り盛りしている。「半ちゃんラーメン」をデジカメに押さえるべく用意しているが、恰幅の良い強面のご主人で、しかも彼の真ん前の席なので、「そんなことされちゃ困るよ」と言われるかと内心ビビッていた。

 コンロは二つしかなくて、一つは中華鍋にチャーハンが常に入っており、注文するたびにそこから皿に盛る。残りのコンロには、面を茹でる鍋。時々タバコをふかしながら、黙々と面を茹でるご主人。禁煙の概念のない、昭和なお店だ。

 いよいよラーメンが来たので、カメラを構えると、「チャーハン来てから一緒に撮ってよ」とご主人。撮影に非常に協力的だった。実はここに来る前に、詳細は言えないがちょっと対人的に落ち込むことがあったので、このご主人の暖かい言葉が嬉しかった。人情に触れたというか。

 半チャーハンも来て、改めてデジカメで撮影。そしてラーメンに向かう。麺は細麺で、チャーシュー一枚とメンマという、シンプルな昭和の醤油ラーメンのようだ。シンプルすぎて、それほどパンチはない感じ。ラーメンから、チャーハンに食を進めると、これは美味い。つねに中華鍋にチャーハンがあったのは、お焦げができるためなのか。お焦げが香ばしくて、美味い。それとショッパ味のあるコマ肉(豚肉?)が効いている。チャーハンを口に含みながら、ラーメンのスープを飲むと、これが絶妙なハーモニーとなった。口に中で香ばしいチャーハンが、スープでほぐれて、二つの味がからまる。「半ちゃんラーメン」が定番になっているのが、分かる気がする。

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         ↑半ちゃんラーメン。

 ラーメンの麺は、やや少なめなので、短時間で食べられるので、麺が伸びきることがない。最後までシコシコとした感じを残した。ただ、このスープには、麺よりチャーハンが合う気がした。

 ごちそうさま。650円なり。この安さも、長年人気の秘密だろう。また機会があったら来てみたい。昭和なご主人の、人情味の「半ちゃんラーメン」であった。ご主人の心遣いと、味に、?,ち込んだ心が救われた。

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        ↑こんな感じのご主人。

 このまま神保町を去れるほど、意志は強くない。中野古書店漫画部に足を向けた。

 今は特価本のセール中で、早速『小学館入門?(科シリーズ176 カラー版妖怪まんが 鬼太郎』( 水木しげる)を500円でゲット。それと『魔太郎がくる!!』第12巻(藤子不二雄/秋田書店)を見つける。第11巻まで持っているので、ちょうど良かった。状態は並よりちょいと?,ちるけど、800円だし、ゲットする。他にも色々あったけれど、我慢して今日はこれだけで。

 その足で、今度は書肆アクセスへ。『昭和プロレスマガジンVol.8』を求める。昭和50〜51年の新日本プロレスの研究本。

 今度は御茶ノ水駅から秋葉原へ。ヨドバシカメラのオモチャコーナーへ行き、フィギュア飾りケースを所望。ここで木製ベースもあるかと店員に聞いたら、ないとのこと。ラジオ会館のボークスへ行こうかと思ったが、腕時計を見たらもう2時。そろそろ紀伊国屋画廊に戻らないと、サイン本が買えないかも。それだと今日の外出の意味はない。

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      ↑案内ポスター。

 2時半頃画廊に戻ると、すでに開場には河童さんがいらしていた。わりと小?)な方だ。各界の著名人から送られた花を撮影されていた。送り主を見ると、黒柳徹子、ピーコ、市川正親、高畑淳子など、そうそうたるメンバー。河童さんの交流の幅を感じる。でも中にいる数人のお客は私も含め、河童さんに気づかぬふりをしている。サイン会まで、交流のけじめをつけようとという、大人の配慮だろう。

 午前中にも展示物を観たが、改めてじっくりと鑑賞。私としては手描きルポの『河童が覗いたシリーズ』の生原稿が気になる。原画は、B4くらいの大きさで、とても大きな紙に描いているのに驚く。あの細密画は、このくらい大きく描かないと、デティールに凝れないことを納得した。それに大きく描いて、印刷時に縮小すると、見栄えが良くなるだろうし。

 ちなみに『覗いたシリーズ』は、丸ペンにインクで描いている。実際使っているペンが展示されていた。丸ペンで、太い線から細い線まで描き分けている。原稿は、ケント紙にブルーで文字原稿の罫線がはいったようなものを使っているものも見受けられた。

 舞台の家並みなどの、イラスト原画なども興味深く拝見。これもまた非常に緻密に描いている。これを元に、舞台の大道具の画家達が、実際の舞台装置を作るのだ。河童さんの描いた絵の、25倍の大きさの舞台装置となる。

 書き文字も、とても丁寧で上手い。文字の位置は、罫線が引いてあるかのように縦にも横にも揃えられているのがすごい。『覗いたシリーズ』はまだそういうスタイルで書いているのかと納得するが、舞台美術のデザイン画に添えられているスタッフへの指示の文章も、同じように文字が縦にも横にも揃っているのがすごい。普段から、そうとう几帳面という感じがした。

 開始予定の3時に15分ほど早かったが、河童さんの好意で、早めにサイン会がスタートされた。私は二番目にサインをして頂く。サインは、会場内で売られている書籍にするのであるが、売られていたのはほとんど持っている物。だけど、サインしてもらいたいから、『河童が覗いたインド』(講談社文庫)と『河童のスケッチブック』(文春文庫)を買って、サインをお願いした。

 それと写真撮影の許可を求めると、河童さんは快諾。「サイン中に顔を上げるから、その時写してね」とおしゃるので、一枚パチリ。すると、「一枚で良いのかい?それとフラッシュ炊かないで大丈夫?」と気遣って下さり、顔をグッとあげて照明が顔に当たるようにして下さった。そして二枚目をパチリ。

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      ↑妹尾河童さん。

 「(イラストの)原画が大きくて、ビックリしました。もっと小さく描いておられると思った物ですから。」と私が言うと、「大きく描いて、小さくする仕事と、小さく描いて大きくする(舞台の)仕事をしているんですよ。」と大きな声で語って下さった。

 私は緊張していて、今思うと下がる時にお礼を申さなかった気がするのだが、失礼してしまった。でも気さくで、とてもエネルギッシュな河童さんだった。サインと写真、ありがとうございました。

 さて木製ベースであるが、池袋のボークスへ足を伸ばし、ようやくゲット。駅から遠いから、難儀だな。76歳の河童さんのパワフルさが、羨ましい。今日はさぶちゃんラーメンのご主人といい、元気なオジサンを覗き、触れあった一日であった。私はと言うと、ほうぼう覗き、歩き疲れてへとへとで、帰りの電車でコクリコクリとしてしまう情けない30代である。
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2006年06月03日

今も惹き付ける絵

 午前6時に居間で食べる母のお握りは、ありがたさと親不孝の味がする。今日は劇場映画『仮面ライダーカブト』&『轟轟戦隊ボウケンジャー』の限定ソフビ付き前売り券の発売日だ。数に限りがあるので、早めに東京の劇場に行ってゲットするべく早起きだ。そのために母にお握りを作ってもらったのだ。ひきこもりでしかも道楽に母の手を患わせて、申し訳ない感じ。

 午前8時35分頃劇場の窓口前着いた時、すでに数人のオタクらしき二人が、ソフビを購入していた。長蛇の列はできていない。二列になっていたのである20代くらいの男性の隣に並ぶと、順番を守れと注意される。一列が縮まって、二列に見えただけだった。やれやれ。

 無事ゲットできて、近くのドトールコーヒーに入る。今日はこれから根津の弥生美術館で、『松本かづち展』を観るのだ。1回の交通費で、多くの用事をすませようという算段なのだ。腕時計に目を落とすと午前8時45分。美術館は午前10時からだ。それまでしばしここで時間を潰す。朝早くのドトールはガラガラだ。禁煙フロアには、なにか勉強している中年の男性一人。時々ブツブツ独り言を言っている。世の中とずれた時間には、どこかずれた感じの人がいるのか。まぁ私もその一人だろうが。

 こっそりソフビを箱から出して見てみる。仮面ライダーカブトとボウケンレッドの、ラメ入りクリア成型による限定版だ。なかなか綺麗で豪華な見た目。まずは満足。

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   ↑限定カブト。

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 ↑限定ボウケンレッド。


 読書や書きものなどしながら時間を潰してたら、9時半を回っていた。周りには客が増え始める。さぁ美術館へと移動だ。

 文京区。通りのあじさいを眺め、美術館へと勾配のある道を歩く。ここら辺はいつ来てもモラトリアムな雰囲気で落ち着く。

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   ↑通りにはみ出したあじさい。

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    ↑弥生美術館。

 開館間もない弥生美術館には、女性客が2人。空いていて、落ち着いていていい。

 私は松本かづちさん(本名松本勝治/1904〜1986)の直撃世代ではない。しかしレトロで可愛い絵柄は私好みで、はるばるやって来たのだ。50代以上のおばさま達には、少女誌の抒情画やマンガ『くるくるクルミちゃん』で有名な方だ。

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↑『くるくるクルミちゃん』。

 まず感銘を受けたのは、戦後に描かれた少女小説の挿絵。1950年代の作品群だ。ペンタッチの見事さ。特に線をザッザと重ねて影を描き込んだりしているところが良かった。筆でベタを塗るのではなく、丸みのある暖かい影というか。こういうタッチで描いてみたいものだ。好きな画家の一人の村上勉さん(佐藤さとる『コロボックル』シリーズの挿絵で知られる)も、こういう線を重ねる影を描いている。ペン画の挿絵の伝統なのかもしれない。

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↑『ケティーお嬢さん』より、挿絵。

 いづれの作品にも共通していることだが、身体の描き方に躍動感がある。止めのポーズにしても、手や腰、足に至るまで、表情豊かに描かれていて、人物全体に流れるリズムと独特の躍動感があるのだ。こんなに躍動した身体を描けるとは、よくクロッキーやスケッチなどをしたことだろう。

 同じく1950年代の作品で、『少女クラブ』などのカラー抒情画にも感銘を受ける。当時は紙も悪く絵の具の発色も良くないだろうに、とても透明感のある色である。少女の美しさと、それを引き立てるような透明感のある背景の色の美しさ。スパッとした筆遣いで、清らかで品が良い。今の萌え市場でもてはやされている絵もそうだが、可愛い・愛らしい絵というのは、ごちゃごちゃと筆を動かさずスパッと塗るとことや、清潔で柔らかな色づかいが共通している。

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 ↑『少女クラブ』口絵より。

 繊細な絵は、性格にもよるみたいだ。仕事机はいつも整理整頓されており、引き出しの筆の並び順まで決まっていたそうだ。そうした几帳面さが、あの繊細な線と色を生み出しているのだろう。

 『くるくるクルミちゃん』が人気の頃は偽物製品=パチモンも多く出たそうで、その一部が展示されていた。確かにクルミちゃんの絵は単純な線で描かれているのマネしやすそうだが、やはりパチモンは形だけなぞった感じだ。松本さんの絵は、単純な線にも、デッサンなどで線を何本も引いた末に獲得されたラインだということが分かる。選び抜かれ洗練された、確かなラインなのだ。パチモンは、そこまではマネできないようだ。

 弟子達との写真を見て、意外な人間関係に驚く。マンガ『フイチンさん』で知られる上田トシコさんが弟子なのだ。流麗な線と、躍動感のある身体のラインなどは、確かに影響を感じさせる。

 マンガ家の高野文子さんが以前、上田トシコさんのタッチを参考にしたそうだ。それを物語るのは、『るきさん』などの作品で分かる。すると私の推測なのだが、松本かづち→上田トシコ→高野文子と、画風が現代へと継承されている流れが見えてこないだろうか・・・。

 私にとっての松本かづち体験はないと思っていたが、ある展示物の前に止まって、ハタと思いついた。その展示物は、プラスチックのベビーバスだ。底に描かれているキューピーさんのような赤ちゃんの絵にどうも見覚えがあるのだ。ウチにあったような気がする。

 展覧会に連動した本『昭和の可愛い!をつくったイラストレーター松本かづち』を購入したところ、このベビーバスの写真が載っており、帰宅後母に確認してもらう。すると母は覚えがないという。色は違ったけれど、絵柄やベビーバスの形状は覚えがあるんだけどなぁ。

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↑ベビーバス。確かにあったような気が・・・。

 松本さんは1960〜1970年代、抒情画やマンガから卒業し、赤ちゃんや幼児用の生活用品の企画などを手がけていたのだった。この時代は私が生まれた時代でもあるので、かづちグッズに親しんだ可能性もあるのだ。私もかつぢに触れた可能性がある。

 展覧会を一巡してから、もう一度挿絵のコーナーへと戻る。何度見ても飽きないペンタッチ。マンガよりも絵物語が主流だった頃、文字量が多いから読むスピードがゆっくりとしいただろう。だからそれに合わせて、挿絵に目を落とす時間もたくさんあったろう。今ではスピードを求められ、マンガなどはいかに早くページをめくらせるかということに主眼をおき、絵もそれにあわせて軽快になった。1ページあたり、一コマあたりの絵に目を落とす時間は少なくなった。かつぢさんの絵は、ゆっくりと本に目を落とす時代に求められた、軽薄さに線が流れないとても丁寧な絵となっている。それが今なお、人々を惹き付けるのだろう。繰り返し返しの鑑賞に堪えうる絵となっているだろう。

 私も少しは丁寧に、なるべく手を惜しまず絵を描かないといけないなと感じた。

 さぁ早く帰らないと。今晩は、地元の落語会に行く予定なのだ。急いで帰路についた。

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2006年02月24日

『谷内六郎の軌跡』

 昨晩ネットをやっていたら、私の好きな画家の谷内六郎さんの展覧会が開かれていることを知った。2月26日まで。急遽今日行くことに決める。

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     ↑A4ポスター。

 朝早く起きたら、トリノ五輪で荒川静香がフィギュアで金メダルと取ったというニュースがテレビで流れていた。良かったなぁ。オリンピックは開会式を観たきりで、特に興味を持ってなかったけれど、やはり金メダルは嬉しいものだ。

 『没後25年 谷内六郎の軌跡 ―その人と仕事―』は、そごう横浜店のそごう美術館にて開催されている。長いこと電車に揺られて、はるばる横浜駅へ。さすが横浜、駅も綺麗で、行き交う人もどこかオシャレな感じ。

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      ↑そごう美術館。

 会場へ到着すると、速攻で展覧会グッズ販売コーナーへ。図録が欲しかったのだ。図録を探してコーナーを見渡すと、文庫本『谷内六郎の絵本歳時記』を発見。欲しかったんだ、コレ。

 数年前に銀座で初めて谷内さんの展覧会を観た時、『週刊新潮』の表紙絵をまとめた文庫のシリーズがあり、買い求めた。しかしお金がなくて、シリーズ全部を買えなかったのだ。この文庫は一般発売されていない。こういう展覧会会場でしかお目にかかれないのだ。

 今回はこの文庫シリーズが置いてあった。『谷内六郎の絵本歳時記』はシリーズの一つで、唯一持ってなかった本だ。これでやっと全て揃った。来て良かったなぁ。

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  ↑『谷内六郎の絵本歳時記』。

 谷内さんの暖かな絵の世界を文庫サイズで観られるのが良い。文庫サイズは、寝転がって観られるから良いのだ。寝る前とか、谷内さんの絵を眺めているととても心が安まる。

 ここで谷内六郎さんについて、ちょっと説明をば。若い方はまず知らないだろうと思う。実は私も存在は知っていたが、ハマッたのはここ6年くらいの話。

 世間的には、『週刊新潮』の表紙絵を創刊号から25年間描いた画家として有名。「『週刊新潮』は、今日発売されま〜す」という女の子のナレーションと夕焼けこやけの曲がバックに流れるCMがかつてあって、谷内さんの絵が映されていた。私は小学生の頃このCMで、谷内さんの絵を知ったのだ。しかしあの絵を描いている人の名前が谷内六郎というのは、ここ数年で知ったのだ。『週刊新潮』はサラリーマンの雑誌だから、小学生の私には馴染みがなかったのも仕方ない。
 
 谷内さんは、1921(大正10)年、東京に生まれる。絵を描くのが好きな少年だったが、ぜん息などで身体が弱く、思春期、青年期と辛い時代を過ごした。1955(昭和30)年、第1回「文藝春秋漫画賞」を受賞して、脚光を浴びる。そして創刊した『週刊新潮』の表紙絵に抜擢され、25年間担当。1981年に59歳で急逝するまで描き続けられた。

 今回の展覧会では、お馴染みの『週刊新潮』の表紙絵も多数展示されるが、それ以外のポスター、挿絵、装丁画などの仕事、貴重な戦後間もない頃のマンガ家時代の作品などを展示するようだ。

 『谷内六郎の絵本歳時記』と図録を無事ゲットし、いよいよ会場内へ入る。

 20代の頃の貴重な漫画が、まず展示されていた。彼の新聞連載漫画や、なんと戦後の赤本マンガ(戦後縁日などで売られていた粗悪な作りのマンガ本)も展示されている。手塚治虫も描いていた、赤本マンガを描いていたんだなぁ。中身はどういう内容か観てみたいものだ。

 谷内さんの珍しいデッサン画も展示されていた。素朴な子供の描いたようなタッチからは想像できない、リアルタッチの鉛筆デッサン。こういう絵の練習もされていたのだなぁ。お馴染みの童画タッチは、実はほとんど資料を見ずに思いだして描いているそうだ。そんな芸当を支えているのは、こういうデッサンとかスケッチで手に覚えさせた画力なのだろう。

 『週刊新潮』の表紙絵コーナーへ向かう。

 谷内さんは、自分のアイデアや妄想を、絵にダイレクトに定着させる技量というのがすごいと思う。絵にしにくい微妙で繊細なアイデアだと、絵にするのが難しい。伝わないのでは、と絵にするのを止めてしまいかねない。それを子供が描くようなタッチで、アイデアを大胆に画面に捕まえてしまう。すごい。

 どれも子供の感覚というのをうまくとらえた作品だが、特に私が「分かるなぁ〜」という作品があった。女の子がお父さんのコートの匂いをかいでいる作品。女の子の回りには、タバコやオフィス街が描いてあり、女の子がお父さんの匂いから想起する絵を配置している。

 私も小さい頃から親父のスーツとかコートの、独特の匂いを嗅いで、見たことのないオフィスの喧噪やビル街を想像したものだった。今は私も1年ほど会社にいた経験があるから、父の匂いを嗅ぐと会社の雰囲気を想像してしまって、すごく緊張する。

 こういうちょっと絵にしづらいような感覚を、パッと捕まえて、画面に定着させる技術が、谷内さんのすごいところなのだ。

 お子さんを大切にされる一面を語る展示物もある。子供に作ってあげた、手製のオモチャの数々。人形劇ができるように、割り箸の先に人物の絵を描いた紙を貼り付けたもの。紙製のテレビとかカメラ(ポロライドカメラというそうだ)。娘さんの上履き入れに、マジックで女の子の絵が描かれてあったり。谷内さんは自宅で仕事をしていたそうだが、週刊誌の表紙絵の他にポスターや挿絵など様々な仕事を抱えて忙しのに、子供がまとわりついてきても叱ったことはなかったという。むしろ一緒に絵を描いていたという。なかなか出来ないことだ。

 また自宅の冷蔵庫の前にしゃがんでいて、奥さんに「何しているの?」と問われると、「子供の目線になると冷蔵庫ってこんなに大きく見えるのだなぁ」と言ったという。子供達と接し、さらに子供の目線に立つことで、子供の感性を持ち続けたのだろう。

 私が何故谷内さんの絵に惹かれたのか。その理由の一つは、私がひきこもり体験をしたことだろうと思う。谷内さんの作品には、どこかひきこもりに通じるナイーブさがある気がするのだ。

 彼はひきこもりではなかったけれど、内向的で引っ込み思案。ぜん息持ちで、青年時代はぜん息の薬の副作用で、精神を病んでしまったという。部屋にテントを張って、その中にこもるというような。だから、ひきこもり体験をしているのだ。その闘病中に見た夢想を、創作に繋げたという。彼の言葉を記す。

 「(テントの)中でじつとしていると空想がひろがつて、その感じをつかまえてマンガ風の絵にすることにすがつて、生きるのぞみとしたわけであります。」

 どこかひきこもりマインドというのがあり、そこから創作が膨らんでいる。その姿勢に、自分と同じ匂いを感じるのだ。だから私は、谷内さんの作品に惹かれるのだと思う。

 郷愁とファンタジーの世界を堪能して、会場を後にした。もう2時過ぎだ。腹が減った。昼飯だ。

 横浜駅東口の地下で、食事街があったので、そこで食べよう。あっ『ペッパーランチ』があるのか。私には秋葉原デパートの食事街でお馴染みのステーキチェーン店。一度食べたことがあるが、なかなか美味い。しかし格安でステーキが食べられるが、最低800円はかかるので、我慢した。かわりに、そのはす向かいの『カレーハウス リオ』というカレー屋にする。またカレーかと思われるだろうが、やはり安くて味がまぁまぁで、腹が膨れるというのは、カレーが無難なのだ。それにどんな味のカレーか、味わうのも良い。

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    ↑『カレーハウス リオ』

 ワンパターンだけどカツカレー。650円也。カウンターのみの席に座ると、ここにはソースやタバスコの他に、醤油が置いてある。これは嬉しい。私はカレーに醤油をかける派だからだ。

 店内はお昼時を過ぎても盛況だ。サラリーマンが多い感じ。会社説明会の帰りみたいな、スーツ姿の若者集団もどやどやといる。

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     ↑『リオ』のカツカレー

 お、来ましたよ。カツ、薄いなぁ〜。衣の厚さを変わらないよ。まぁこれがB級グルメの王道といえば王道なのだろうが。醤油をかけて、頂きます。

 うん、レトルトっぽいけどなかなか美味いなぁ。この店はカレーが最初から中辛になっているようだが、辛さも自分好みでちょうど良い。薄目のカツだけど、悪くない味。お腹も空いていたから、とにかくドンドン食べ進める。

 ふ〜・・・ごちそうさま。まぁまぁ及第点のカレーだった。

 帰りの電車に揺られていると、ウトウトとしてきた。ゴトンゴトンという音が、眠気を誘うのだ。展覧会には谷内さんの詩も展示されていたが(彼は文才もなかなかである)、汽車の走る音が、「ヤマオカさん、ヤマオカさん」と聞こえたり、「トンデモナイ、トンデオナイ」と聞こえたりするという詩がある。それを眠い頭でぼんやんり思い出した。大の大人だったら、そんなくだらないことと、文章にすることをためらうだろうが、谷内さんはそんな恥を感じないで素直に表現されている。心にリミッターをかけないで、ほんとうにすごいと思う。

 私もそんな感性を見習いたいと思ったが、電車の音が「勝てん、勝てん」と聞こえてきた。あぁ、もっといい絵を描きたいなぁ。車窓には雨が打ち付けていた。
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2005年12月25日

2度目の『大(Oh!)水木しげる展』

 今回は長いですよ。ご了承下さいまし〜。

 昨日の映画で疲れていたのだが、朝6時起床。川崎市民ミュージアムで開催されている『大(Oh!)水木しげる展』を観るため。実は昨年同じ物を江戸東京博物館で観た。今回は、水木ファンということもあるし、本日は直木賞作家でこの展覧会のプロデュースした、京極夏彦さんの講演会があるのだ。これは観てみたい。普段妖怪のように♪朝は寝床でグーグーグーなので、早起きは辛い。でも午前9時30分から講演会の整理券を配るので、なるべく早く行かないと券をゲットできない。寒さに萎える気持ちを奮い立たせて電車に乗り込んだ。母が運賃の足しにと、Suica(スイカ)を貸してくれた。ありがたや。

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     ↑川崎市民ミュージアム。

 川崎市民ミュージアムに着いたのは、午前10時20分頃。ダメかと思ったら、なんとか整理券をゲットできた。整理番号、241番。定員は250人らしいから、あと10分遅かったら早起きの甲斐がなくなっていた。セーフ。熱心な水木ファン、妖怪ファン、京極ファンが多いと実感。

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  ↑チケット。

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         ↑整理券。


 講演会は午後2時から。まだまだ時間がある。それまでゆっくり展覧会を楽しもう。

 会場に入ると、日曜日ということもあり、なかなか盛況。展示物は前回とほぼ同じ物なので、興味のある生原稿などを重点的に鑑賞。曲がりなりにもイラストやマンガを描いているので、どういう筆致で描いているか、興味があるのだ。

 前回観た時には魅力に気づかなかったのが、水木さんのコレクションの展示と写真の展示。

 水木さんが世界各地をめぐってコレクションした、妖怪(精霊?)の立体物の数々。木彫りが多いみたいだ。数々の異形物のコレクションは、ちょっと見は気持ち悪いが、素朴でどこか愛嬌があるものが多い。幼き頃から数々のコレクションをしてきた水木さんだが、ずらっと並んだ妖怪像を観ると、どれも水木マンガに出てきそうな風貌のものばかり。水木さんの世界に近い物が、吸い寄せられるように彼の元に集まったようだ。似たもの同士が、惹かれ合ったのかもしれない。

 写真のコーナーは、水木さんが世界各地をめぐって激写した、写真の数々。妖怪的なものを感じたら、次々とシャッターを切っているようだ。例えば木の木目が妖怪らしいと感じたら、突撃してバシャバシャ連写するらしい。全ては、作品制作のための資料だそうである。
 彼の目で切り取られた自然は、やはり水木さんらしい絵になっている。他の人が撮ったら普通の自然物でも、彼のファイダーを通すとたちまち妖怪的になる。不思議だ。

 妖怪好きの水木さんだが、写真は妖怪的と感じられる被写体を絵の資料として撮っていて、決して心霊写真の類に走ってないのが良いと思う。オカルトに走らないところが、彼が万人に開かれたメジャー性を獲得できた要因の一つだと思う。

 全体を2回ほどめぐって、そろそろお腹が空いてきたので、昼飯にする。朝ほとんど食べないできたので、お腹がぺこぺこなのだ。その日だけなら展覧会へは再入場可なので、安心して退場。市民ミュージアム内のレストラン「つばき亭」へと向かう。そしたらお昼時で大混雑。順番待ちの列ができている。少し時間をずらせば入れるかなと思い、売店を覗いた。

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        ↑売店。

 図録は前回とほぼ同様で持っているので、購入を控えた。ほぼ同じというのは、今回の展覧会用に追加展示物の紹介付録が付く点が少し違うからだ。でも付録のためにまた2,000円払うのは金銭的に辛かったので、買わなかった。代わりに、『水木しげる記念館の公式ガイドブック』というのを買った。鳥取の境港にある水木さんの記念館のガイドブックである。1,500円也。

 「つばき亭」に戻ると、列が小さくなったので、並んだ。20分ほど待って、順番が来る。日替わりランチを注文。本当はカツカレーとか食べたかったのだが、ブログレポート向けにはここならではの品が良いと思い、ランチにした。

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     ↑日替わりランチ。

 味は、まぁまぁというところか。820円というのは、ちょっと高い気もする。期待した酢豚風の唐揚げは、もう一つパンチがない。サラダにリンゴが入っているのがちょっと許せなかった。おかずの種類が多いのは良いが、量が皆一定なのは不満。唐揚げとサラダの量的扱いが同じというのは、ちょっとどうなんだろう。幕の内弁当感覚なのかな。おかずの種類は多くて良いが、メインとサブという量的に差をつけた方が、ランチとしてはアクセントになって良いと思うんだが。

 昼食をすませると、講演会参加者は入場口に集まるようにという場内アナウンス。もう並ぶのか。まだ開始45分前である。

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    ↑通路に集まるファン。

 20分ほど待たされて、会場内のすり鉢式の会場に着席。最後の方の整理番号なので、最上段の最後方列に座る。一応デジカメを用意しているが、講演中は撮影禁止のアナウンス。

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     ↑講演会開始前の会場の様子。

 午後2時、京極さん登場。眼鏡にグレーの着物に、手には黒いグローブ。いつもの妖気漂う(京極ファンの方失礼)出で立ちだ。

 この企画展のプロデュースを依頼された京極さんと作家の荒俣宏さん。単なる原画展にしてしまっては、弟子である我々は大(おお)先生=水木さんに申し訳ないと考えた。そこで、我々は水木作品に惹かれる以上に、水木さん自身が非常に魅力的で面白いことに思い立ち、水木さんそのものを体験できる展示構成にしたようだ。

 なるほどこの展覧会は、水木さんの人生を生い立ちから現在までを縦軸にして、少年時代からのコレクションや絵の展示を横軸にしている。なんと70年前の小学生時代の絵や、新聞のタイトル文字の切り抜きスクラップなどのコレクションが残されている凄さ!

 妖怪や数々のコレクションや絵を描くことなど、水木さんの嗜好は幼い頃から83歳の今に至るまで、全く変わっていない。睡眠と食欲を大事にすることも、全く変わらなかった。太平洋戦争下の過酷な軍隊時代にも、それらは揺るがなかった。

 水木さんは、ただひたすら自分の好きなことをし、また自分の好きなことを万人に好きになってもらうための努力をしてきたと京極さんは語る。

 水木さんと付き合うと分かるらしいが、彼は手塚治虫以上のリアリスト(現実主義者)らしい。死んだらおしまいだ、負けだと思っている。生きているからこそ、楽しい思いもできるし美味い物も食える。生きているうちから、あの世のことを考えるのはばかばかしいと考えてる。

 昔取材で心霊写真を見せられて感想を求められた彼は、「写真に霊など写ってたまるか。」と言ったという。死後の世界の霊のことなど、考えても仕方がない。生きている今が全てというリアリストなスタンスなのだ。

 私はオカルトに走っていないところが水木さんをメジャーに押し上げた要因の一つだと述べたが、やはりそうだった。妖怪は創作物であることを、リアリストの水木さんは知っている。オカルト的になると、どこか密室的・閉鎖的になってしまう。カルト的な信者にしか理解されぬ存在になりかねない。

 彼は妖怪は見えないが、確かにいると言う。それは『気配』だと言ってたと記憶している。

 妖怪は、今や日本で知らぬ者はない存在だが、それは水木さんの戦略の賜(たまもの)だという。水木妖怪マンガが世に出る前、『妖怪』という言葉がない時代から、様々な文献や言い伝えで妖怪はいた。彼は様々は文献や伝聞などを収集・研究し、これは妖怪だと判断した物を、マンガやテレビを駆使してメディアに登場させた。
 
 まず『悪魔くん』を実写テレビ化して、当時流行っていた怪獣に似たものとして妖怪認知の下地を作る。そして『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ化で本格的に妖怪を世に広める。

 番組関連グッズも、妖怪を広める手段だ。『ゲゲゲの鬼太郎』は8〜10年周期で4度アニメ化され、その度にファンを増やす。アニメ第1部の視聴者が子供を持つ世代になる第3部では、グッズが大量に生産される。親は子供の頃に観た鬼太郎グッズを子供に買い与えて、妖怪は継承されていく(関連グッズの売り上げは38億円だったとか)。第4部では、パチンコやゲームにも鬼太郎や妖怪達が登場。故郷の鳥取県境港に水木ロードができるのもこの頃。こうして色んな手段で妖怪を世に浸透させていく。

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 ↑展覧会場外にあった鬼太郎の家。

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 ↑その内部。鬼太郎のチャンチャン
  コが見える。

 水木さんは常に努力して、妖怪を世に広める努力をしてきた。彼はよく「なまけなさい。」と公言しているが、その実上記のようにとても勤勉家だそうだ。マンガの仕事の少ない時期には、アシスタントに背景画のストックをさせて、それがその後数々のマンガや妖怪画の仕事に生きた。彼はリアリストだ。40代まで売れずに貧乏生活が長かった彼は、いかに食うに困らないようにするかを勤勉に実践しているのだった。京極さんの解釈では、「なまけなさい。」の真の意味は、なまけても食えるように努力せよという意味だ。

 前向きな現実性+戦略性+超楽天的性格+絶え間ない努力=水木しげるだと、京極さんは力説。そんな水木さんが広めたあるいは生み出した妖怪は、とても前向きでポジティブな存在である。妖怪は、水木さんのポジティブな生き方そのもの。妖怪は、水木しげるなのだ。

 私ごとだが、私は幼い頃『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメが大好きだったが、本格的に水木作品にのめり込んだのは、ひきこもってからだった。運動不足からぶくぶくと太り、毛も抜けて、容姿が醜く崩れていった私は、水木作品の醜い妖怪達に心惹かれるようになった。子供の頃のノスタルジーもある。非常にネガティブだった(今もそうだが)心の私に、水木妖怪達の陽性さには、心の明るくなる思いだった。陽性の水木さんの描く妖怪だからこそ、私は妖怪が好きになったのだろう。というか、単なる妖怪好きではなく、水木さんの描く妖怪が好きなのだ。

 京極さんや荒俣さんなど水木さんと親交のある人達は、彼と付き合うことで非常に幸せな気分になるという。水木しげる=妖怪を嗜好することは、幸せな気分になれるのだ。そして妖怪を嗜好することは、ナショナリズム的ではない、日本好きになる道につながるという。私は最近の右傾向の世の中に不安を感じているが、妖怪に触れると日本って良いなぁと心に染みるように思ってしまう。権力からの押しつけられる愛国心より、心の抵抗無く日本への愛着が了解できる。

 妖怪の正体は、水木しげるだった。彼の妖怪普及の恩恵を我々は受けているのだ。そして水木妖怪というポジティブな存在に親しむことで、幸せになれる。どうか妖怪を楽しんで、ポジティブに明るい気分で生きて下さいと京極さんは締めた。

 公演時間は、1時間15分。作家であるにもかかわらず、ユーモアを交えて非常に堂々と雄弁に語る京極さんだった。

 講演会が終わり、もう一度展覧会場をめぐってみた。会場にみなぎる水木しげるのエキスを吸って、いつかは私も愉快な妖怪マンガが描きたいなぁと思った。そのためには妖怪みたいに怠けちゃいけないのかもしれない。水木さんのように、自分が好きなことをし、それを他人にも好きにならせる努力をするという姿勢を見習わなくちゃいかんなと、怠惰な自分を少し反省したのだった。

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↑ミュージアム最寄り駅の武蔵小杉駅にあった看板。 
posted by 諸星ノア at 22:48| Comment(3) | TrackBack(0) | 展覧会めぐり