
↑『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』表紙。
日本マンガ界では伝説となっている、「トキワ荘」。
寺田ヒロオを筆頭に、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一ら、日本マンガ界を牽引したマンガ家達が青春をすごしたアパートです。
通い組では、つのだじろうや、園山俊二など。
それぞれ仕事が忙しくなったり、結婚したりで、トキワ荘を出ていきますが、久しぶりに青春時代をもう一度という、「郷愁」で再結集。
そこで出来たのが、アニメーション製作の会社「スタジオゼロ」。
トキワ荘を出てアニメーターになった鈴木伸一を社長に、藤子不二雄の二人、石森章太郎、つのだじろうらが、取締役として発足。後に、赤塚不二夫が参加。
そんなスタジオゼロの歩みをまとめたのが、本書です。
作者の幸森軍也(こうもり・ゆきや)さんは、作家で、ダイナミックプロダクション出版企画部部長という方。
幸森さんが、スタジオゼロ初代社長・鈴木伸一先生の監修を受け、出版物や関係者に取材をしつつ、スタジオゼロの発足から7年間の歩みを紐解きます。
スタジオゼロのことや、その周辺のアニメ会社の動きも押さえており、興味深いです。
個人的に引っかかったのはー
トキワ荘の才能溢れたマンガ家達が、手塚治虫の虫プロダクションにならって、気軽に副業感覚で、アニメ会社を興してますが、アニメを本業としている人達からは、どう見えていたのか。
マンガ家としては天才的な彼らも、アニメーターとしては不向きなことは早々に判明。
会社運転資金のために描いた藤子先生の『オバケのQ太郎』がまさかの大ヒットし、ゼロでアニメ化。日本中に「オバQ」大ブームを起こす。
藤子ら重役以外に社員1名で始まったゼロは、アニメのヒットで、アニメ制作部のために社員を増やし、50名以上の社員をかかえる。
でも藤子アニメのブームが4年ほどで去ると、アニメの仕事はさっぱりなくなって、「もういいんじゃない?」という感じで、アニメ制作部の社員を解雇。アニメ製作から、手を引いていきます。
なんというか、天才達の気まぐれで作ったアニメ会社参加して、天才達にあっさり解雇されていったアニメーター達のことを思うと、その人達が不憫と言いますか。
アニメを本業としている人達から、こういう事象はどう評価されるのか。
そういう点に、少し記述があれば良かったかなって感じます。
鈴木伸一先生が監修に入っているので、そういう負の側面は、なかなか書きにくいことでしょうけれども。
※スタジオゼロ時代に製作された、モノクロアニメ『オバケのQ太郎』(1965〜1967年)の最終回の一場面。
来週から放送の『パーマン』(1967年)から、パーマン1号が、ちょこっと登場しちゃいます。
『オバQ』から『パーマン』への引き継ぎ場面とも言えますが、同じ原作者で、同じスタジオゼロ製作という気軽さもありますね。
アニメは厳密の言うと、スタジオゼロと東京ムービー(Aプロダクション)が交代で製作していたそうです。
オバQ x パーマン
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