2013年11月18日

『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』

 『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』(幸森軍也著/監修・装画:鈴木伸一/講談社刊)を読了。






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↑『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』表紙。

 日本マンガ界では伝説となっている、「トキワ荘」。

 寺田ヒロオを筆頭に、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一ら、日本マンガ界を牽引したマンガ家達が青春をすごしたアパートです。

 通い組では、つのだじろうや、園山俊二など。

 それぞれ仕事が忙しくなったり、結婚したりで、トキワ荘を出ていきますが、久しぶりに青春時代をもう一度という、「郷愁」で再結集。

 そこで出来たのが、アニメーション製作の会社「スタジオゼロ」。

 トキワ荘を出てアニメーターになった鈴木伸一を社長に、藤子不二雄の二人、石森章太郎、つのだじろうらが、取締役として発足。後に、赤塚不二夫が参加。

 そんなスタジオゼロの歩みをまとめたのが、本書です。

 作者の幸森軍也(こうもり・ゆきや)さんは、作家で、ダイナミックプロダクション出版企画部部長という方。

 幸森さんが、スタジオゼロ初代社長・鈴木伸一先生の監修を受け、出版物や関係者に取材をしつつ、スタジオゼロの発足から7年間の歩みを紐解きます。

 スタジオゼロのことや、その周辺のアニメ会社の動きも押さえており、興味深いです。

 個人的に引っかかったのはー

 トキワ荘の才能溢れたマンガ家達が、手塚治虫の虫プロダクションにならって、気軽に副業感覚で、アニメ会社を興してますが、アニメを本業としている人達からは、どう見えていたのか。

 マンガ家としては天才的な彼らも、アニメーターとしては不向きなことは早々に判明。

 会社運転資金のために描いた藤子先生の『オバケのQ太郎』がまさかの大ヒットし、ゼロでアニメ化。日本中に「オバQ」大ブームを起こす。

 藤子ら重役以外に社員1名で始まったゼロは、アニメのヒットで、アニメ制作部のために社員を増やし、50名以上の社員をかかえる。

 でも藤子アニメのブームが4年ほどで去ると、アニメの仕事はさっぱりなくなって、「もういいんじゃない?」という感じで、アニメ制作部の社員を解雇。アニメ製作から、手を引いていきます。

 なんというか、天才達の気まぐれで作ったアニメ会社参加して、天才達にあっさり解雇されていったアニメーター達のことを思うと、その人達が不憫と言いますか。

 アニメを本業としている人達から、こういう事象はどう評価されるのか。

 そういう点に、少し記述があれば良かったかなって感じます。

 鈴木伸一先生が監修に入っているので、そういう負の側面は、なかなか書きにくいことでしょうけれども。


※スタジオゼロ時代に製作された、モノクロアニメ『オバケのQ太郎』(1965〜1967年)の最終回の一場面。

 来週から放送の『パーマン』(1967年)から、パーマン1号が、ちょこっと登場しちゃいます。

 『オバQ』から『パーマン』への引き継ぎ場面とも言えますが、同じ原作者で、同じスタジオゼロ製作という気軽さもありますね。

 アニメは厳密の言うと、スタジオゼロと東京ムービー(Aプロダクション)が交代で製作していたそうです。

オバQ x パーマン



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posted by 諸星ノア at 22:07| 読書感想(マンガ含む)