午前8時35分頃劇場の窓口前着いた時、すでに数人のオタクらしき二人が、ソフビを購入していた。長蛇の列はできていない。二列になっていたのである20代くらいの男性の隣に並ぶと、順番を守れと注意される。一列が縮まって、二列に見えただけだった。やれやれ。
無事ゲットできて、近くのドトールコーヒーに入る。今日はこれから根津の弥生美術館で、『松本かづち展』を観るのだ。1回の交通費で、多くの用事をすませようという算段なのだ。腕時計に目を落とすと午前8時45分。美術館は午前10時からだ。それまでしばしここで時間を潰す。朝早くのドトールはガラガラだ。禁煙フロアには、なにか勉強している中年の男性一人。時々ブツブツ独り言を言っている。世の中とずれた時間には、どこかずれた感じの人がいるのか。まぁ私もその一人だろうが。
こっそりソフビを箱から出して見てみる。仮面ライダーカブトとボウケンレッドの、ラメ入りクリア成型による限定版だ。なかなか綺麗で豪華な見た目。まずは満足。

↑限定カブト。

↑限定ボウケンレッド。
読書や書きものなどしながら時間を潰してたら、9時半を回っていた。周りには客が増え始める。さぁ美術館へと移動だ。
文京区。通りのあじさいを眺め、美術館へと勾配のある道を歩く。ここら辺はいつ来てもモラトリアムな雰囲気で落ち着く。

↑通りにはみ出したあじさい。

↑弥生美術館。
開館間もない弥生美術館には、女性客が2人。空いていて、落ち着いていていい。
私は松本かづちさん(本名松本勝治/1904〜1986)の直撃世代ではない。しかしレトロで可愛い絵柄は私好みで、はるばるやって来たのだ。50代以上のおばさま達には、少女誌の抒情画やマンガ『くるくるクルミちゃん』で有名な方だ。

↑『くるくるクルミちゃん』。
まず感銘を受けたのは、戦後に描かれた少女小説の挿絵。1950年代の作品群だ。ペンタッチの見事さ。特に線をザッザと重ねて影を描き込んだりしているところが良かった。筆でベタを塗るのではなく、丸みのある暖かい影というか。こういうタッチで描いてみたいものだ。好きな画家の一人の村上勉さん(佐藤さとる『コロボックル』シリーズの挿絵で知られる)も、こういう線を重ねる影を描いている。ペン画の挿絵の伝統なのかもしれない。

↑『ケティーお嬢さん』より、挿絵。
いづれの作品にも共通していることだが、身体の描き方に躍動感がある。止めのポーズにしても、手や腰、足に至るまで、表情豊かに描かれていて、人物全体に流れるリズムと独特の躍動感があるのだ。こんなに躍動した身体を描けるとは、よくクロッキーやスケッチなどをしたことだろう。
同じく1950年代の作品で、『少女クラブ』などのカラー抒情画にも感銘を受ける。当時は紙も悪く絵の具の発色も良くないだろうに、とても透明感のある色である。少女の美しさと、それを引き立てるような透明感のある背景の色の美しさ。スパッとした筆遣いで、清らかで品が良い。今の萌え市場でもてはやされている絵もそうだが、可愛い・愛らしい絵というのは、ごちゃごちゃと筆を動かさずスパッと塗るとことや、清潔で柔らかな色づかいが共通している。

↑『少女クラブ』口絵より。
繊細な絵は、性格にもよるみたいだ。仕事机はいつも整理整頓されており、引き出しの筆の並び順まで決まっていたそうだ。そうした几帳面さが、あの繊細な線と色を生み出しているのだろう。
『くるくるクルミちゃん』が人気の頃は偽物製品=パチモンも多く出たそうで、その一部が展示されていた。確かにクルミちゃんの絵は単純な線で描かれているのマネしやすそうだが、やはりパチモンは形だけなぞった感じだ。松本さんの絵は、単純な線にも、デッサンなどで線を何本も引いた末に獲得されたラインだということが分かる。選び抜かれ洗練された、確かなラインなのだ。パチモンは、そこまではマネできないようだ。
弟子達との写真を見て、意外な人間関係に驚く。マンガ『フイチンさん』で知られる上田トシコさんが弟子なのだ。流麗な線と、躍動感のある身体のラインなどは、確かに影響を感じさせる。
マンガ家の高野文子さんが以前、上田トシコさんのタッチを参考にしたそうだ。それを物語るのは、『るきさん』などの作品で分かる。すると私の推測なのだが、松本かづち→上田トシコ→高野文子と、画風が現代へと継承されている流れが見えてこないだろうか・・・。
私にとっての松本かづち体験はないと思っていたが、ある展示物の前に止まって、ハタと思いついた。その展示物は、プラスチックのベビーバスだ。底に描かれているキューピーさんのような赤ちゃんの絵にどうも見覚えがあるのだ。ウチにあったような気がする。
展覧会に連動した本『昭和の可愛い!をつくったイラストレーター松本かづち』を購入したところ、このベビーバスの写真が載っており、帰宅後母に確認してもらう。すると母は覚えがないという。色は違ったけれど、絵柄やベビーバスの形状は覚えがあるんだけどなぁ。

↑ベビーバス。確かにあったような気が・・・。
松本さんは1960〜1970年代、抒情画やマンガから卒業し、赤ちゃんや幼児用の生活用品の企画などを手がけていたのだった。この時代は私が生まれた時代でもあるので、かづちグッズに親しんだ可能性もあるのだ。私もかつぢに触れた可能性がある。
展覧会を一巡してから、もう一度挿絵のコーナーへと戻る。何度見ても飽きないペンタッチ。マンガよりも絵物語が主流だった頃、文字量が多いから読むスピードがゆっくりとしいただろう。だからそれに合わせて、挿絵に目を落とす時間もたくさんあったろう。今ではスピードを求められ、マンガなどはいかに早くページをめくらせるかということに主眼をおき、絵もそれにあわせて軽快になった。1ページあたり、一コマあたりの絵に目を落とす時間は少なくなった。かつぢさんの絵は、ゆっくりと本に目を落とす時代に求められた、軽薄さに線が流れないとても丁寧な絵となっている。それが今なお、人々を惹き付けるのだろう。繰り返し返しの鑑賞に堪えうる絵となっているだろう。
私も少しは丁寧に、なるべく手を惜しまず絵を描かないといけないなと感じた。
さぁ早く帰らないと。今晩は、地元の落語会に行く予定なのだ。急いで帰路についた。
