そこで思わぬ発見。

↑森安なおや著『烏城物語』。
森安なおやは、マンガ界の伝説『トキワ荘』のメンバーです。藤子不二雄の二人や、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らと、トキワ荘でマンガを描いていた人物。
メンバーのほとんどが、雑誌マンガで成功していく中で、その潮流に乗れなかった彼。
トキワ荘を出てからは、職を転々とする生活。
その彼が、密かに描き続けていた作品が、『烏城物語』です。
森安さんは、岡山県出身。本作は、1996年に岡山県の同級生有志によって出版されたものを、2012年に再版したものです。
私は藤子不二雄A先生の『まんが道』にて、森安さんを知ってはいましたが、実際に彼の作品を読んだことはなく、今回が初めてでした。岡山県でしか販売されてないという話はネットで知っていたから、神保町で出会えるとは、ラッキーでした。
森安さんと言えば、1981年にNHKで『現代マンガ家立志伝』が放送され、トキワ荘出身の手塚治虫や藤子不二雄らキラ星の作家達と対照的に、挫折して職を転々としている森安さんが紹介されていて、複雑な思いをしたものでした。後年、NHKが彼の現状の惨めさを、故意にあおる演出をしたことが、一部で語られてました。
さて、作品を早速読んでみるとー
太平洋戦争前の岡山県岡山市が舞台。親なしの少年・進一が、育ての親・銀二郎と死別し、銀二郎の愛人の庇護を受け、旧制中学に合格するまでの話です。
まずは、叙情的で細密なペンタッチと、画面がフィルム映画のような白く光を放っている感じで、超絶に絵が上手いです。
ただコマ運びなどが独特すぎて、話が分かりにくい。
でもこの斜線を多用するペン画のようなタッチは、商業雑誌の編集者との打ち合わせを経て、大量生産体制することでは獲得できない技術であり、森安さんの中で、孤独に純粋培養されたような技術でしょう。芸術の範疇に入る作品です。
しいて言えば、ガロ系。今で言うと、『アックス』に載るような作品。森安さんが、今の時代の人ならば、同人誌という市場で存在感を示すことが出来たかもしれません。
それにしても、仕事をしながら、一人孤独に、これだけの作品を描き、技術を高めていったことは、驚異的な精神力でしょう。日々の仕事に流されず、あくまでマンガの創作に向かったことは、尊敬に値します。
上記のNHK番組では、職を転々としながらも、マンガを描いている姿が放送されてましたが、この作品を読むと、それは真実だったことが分かります。こつこつ、独りで描き続けたんでしょうね。
本の序文には、藤子不二雄の二人や、石ノ森章太郎、赤塚不二夫の激闘メッセージが添えられてます。彼らの言葉が、森安さんには、何より心強かったかもしれません。
森安さんは、1999年に都営団地で一人亡くなっているところを、元奥さんに発見されました。享年64歳。
それでもこの本のように、郷土岡山の地では、足跡が評価されているようで、人ごとながら救われる思いです。
※NHK特集『現代マンガ家立志伝』がYou Tubeにありましたので、貼っておきます。
序盤で、藤子不二雄の二人が、駅のホームで、小学生達にサインを求められてますが、今見ると応じているのは、藤子A先生の方。藤子F先生は、複雑な顔をしています。
F先生は、サインを求められても、滅多に応じないというのは、近年知りました。F先生の考えは、マンガ家のサインは、絵が求められるもので、その場で下描きなしに描くと絵が荒れるから、その場で描くことを拒否したそうです。
NHKの遠藤ディレクターという女性が、森安さんに飲みの席で結構辛辣なことを言ってますね。
森安さんは、他のメンバーとの差について負けていると告白してますが、ディレクターは、今の若い人の感覚も負けちゃうでしょみたいことを言ってます。それはあんたが言うことじゃないでしょ。
それと当時の赤塚賞に佳作に入った若者にも、その後鳴かず飛ばずの状態の時に、そのディレクターが「いつまで続ける気ですか?」などと無神経に聞いています。
手塚賞の受賞者として、『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦が映ってます。手塚治虫が彼と握手する際、「東北出身からはマンガ家が出ないんでね」と手塚さんが尋ねると。荒木さんは「宮城県です。石森章太郎先生と同じです」と答えると、「ああ、あんいう程度のもんでね」と、さりげなく「黒手塚」が見られます。
集英社に持ち込みをした森安さん。編集者は、意外にもというか好感触で、出版採用が決まりかけたものの、結局没に。
しかし近年、これはNHK側が、「結局ダメだった」というラストにしたくて、集英社に指示したらしいことが判明。悲しいですね・・・。
常盤莊紀錄片~~わが青春のトキワ荘 〜現代マンガ家立志伝〜
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