
↑『金狼の遺言 完全版』。
2011年に71歳で亡くなった、悪役レスラー・上田馬之介が、自身のレスラー人生と、日本マット界に言い残しておきたいことをまとめた本。
上田さんは、1996年に自動車事故に遭い、胸下不随となってしまったので、上田番として長年上田さんを取材してきたスポーツライターの、トシ倉森氏が、上田さんが語る言葉を、本にまとめたのです。
本書で一貫して上田さんが訴えていることは、プロレスラーはセメントが強くないといけないということ。
私が上田さんをテレビで見ていた頃は、ぽっこりお腹で、動きもスロー、イス攻撃や首締めを繰り返す反則レスラーという印象でした。
ただ試合以外で私がすごく印象に残っているのが、昔フジテレビの『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに、上田さんが出た時のこと。
そこでタモリさんが「プロレス技をかけて」とリクエストしたところ、上田さんはヘッドロックをかけました。全く力を入れてない状態で上田さんがタモさんに、「抜こうとして動いてみなさい」と指示し、タモさんが動いた途端「痛たたたっ!」と悲鳴をあげました。
「私は力を入れてないけど、抜こうとすると極まるんですよ」と上田さんが言っていた記憶があります。
上田さんの本を読んでいて、まず思い出されるのがこのシーンでした。
本の中でも、ヘッドロックは腕の力で極めるのではなく、相手の急所に自分の体重をかけることで、力はいらないという記述があり、今更ながらなるほどと納得した次第。
というのも上田さん曰く、日本プロレスに入団した頃は、力道山の命令でもあって、道場ではひたすらセメントの練習に明け暮れていたとか。
セメントというのは、今日日常語にもなっている、ガチ=ガチンコのことです。本気で相手の関節を極めてしまう真剣勝負です。
そういう稽古の片鱗が、タモさんへヘッドロックをかけたシーンにも現れていました。
大相撲出身の力道山は、セメントの重要性を知っていたそうで、だからこそ、若手にはそういう練習をさせていたらしい。
コーチにもことかかなくて、早稲田大学出身のアマチュアレスリング猛者で、後の国際プロレス社長になる吉原功や、柔道の鬼・木村政彦の元でプロレスをしていた、柔道五段の大坪清隆が、熱心に教えてくれたそうです。
ちなみに日プロ時代に同じ若手として、セメント練習に汗を流したのが、かのアントニオ猪木でした。
力道山道場でのセメント練習のバックボーンがあったからこそ、その後彼がアメリカマットで一匹狼として渡り歩く際に、向こうのレスラー達に舐められなかったと言います。
1969年、日系レスラーで有名な悪役・トージョー・ヤマモトが、上田さんのファイトマネーを当時のレートで360万円ほどをピンハネしたり、他のレスラーもそういう被害に遭っていたので、彼は試合中にヤマモトの腕を、アームロックで折りました。
それ以来、アメリカマットのレスラー達からは、一目置かれる存在になったそうです。
今のプロレス界の衰退は、彼に寄れば、強さがなくなったからだと喝破しています。
さらに今のプロレスは、試合が軽く、前座からメインイベントまで、皆同じような技を使う。最初からステーキばかり出されれば、飽きられるのも当然だろうと語る。
私も確かに、そう思いますね。
まず強さというバックボーンが感じられない。K-1やPRIDEの出現で、プロレスラーの強さが、ファンタジーになってしまった。リアルファイトとプロレスは違うモノというのが、広く知れ渡ってしまった。
私はひねくれているので、格闘技ブームになって世の中盛り上がっても、変わらずプロレスが好きなんですけど、強いばかりがプロレスラーではないみたいな斜に構えるところがあります。確かにプロレスラーには、パフォーマンス力も大きく問われますし。
それにプロレスラーは強いんだって言えば、回りからは未だにオカルトを信じている類のバカのされ方を受けるでしょうし。
でも本音は・・・プロレスラーは強くあって欲しい。
これと関連するんですけど、今の日本マット界は、プロレスに特化する余りというか、とにかく派手な技で、動き回る試合が多くて、面白いけどつまらないという印象なんですね。
もっとレスリングの重みがあれば、飛び回ったり、ラリアットやエルボーを乱発しなくても試合出来るんじゃないでしょうか。
レスリングの重みっていうのは、やっぱりセメントの強さに関係してくるんじゃないかと思います。
本に戻りますけど、彼はさらに、レスラーの個性がないことも嘆いています。これも皆が良くも悪くも、同じ技を使い、動き回る試合をすることに関係あると思います。
確かに上田さんの言葉には、頷ける物が多いですけど、さりとて彼の現役時代の試合は、そんなに面白いという印象はないんですが・・・。
本書で上田さんは、アントニオ猪木に対しては、亡くなるまで、並々ならぬ親しみを持っていたことが分かりますが、ジャイアント馬場に対しては、恨み憎しみの言葉がすごいです。
馬場に関しては、プロレス本などでは、良い人だったみたいな伝聞が書かれていることが多いですが、上田さん以外にもミスター・ヒト(安達勝治・故人)とか、馬場のダークな部分を語っています。
胸下不随で、15年間身体障害者として闘病することで、上田さんは、日本の障害者福祉政策に、怒りを感じていたそうです。弱者いじめもたいがいにして欲しいし、政治家を黒塗りの高級車に乗らせるために、高い税金をはらってんじゃないんだ、と。
だから生まれ変わったら、レスラーではなく大統領になって、弱者でも住みよい世界を作りたいと語っています。
リング上は悪の限りを尽くした彼も、リングを降りれば、礼儀正しい人だったと、共著者のトシ倉森氏は書いています。
現役時代サイン会をしても、売り上げの半分は、福祉関係に寄付したり、それと本文では先輩レスラーには、さん付けは当たり前ですが、後輩レスラーにも、全てクン付けで呼んでいるところに、礼儀正しさが分かります。
心優しき、昭和のプロレスラーの言葉には、傾聴に値する言葉がたくさんありました。昭和のプロレスを愛する人達に、多く読んで欲しい内容です。
※プロレスです。
新日本プロレス、1978年2月8日、蔵前国技館にて。釘板デスマッチ・アントニオ猪木vs上田馬之介。
上田さんの本を読んで、改めてこの試合を観ると、面白い。
彼曰く、相手がバックを取りに行くのは思うつぼで、相手の腕を取って極めやすいと語ってますが、この試合の序盤に、そういう流れが何気なくあったりします。
猪木も、上田の両足首を両脇で抱えて極めてしまう場面があったり、若き頃セメントの練習をした同志というフィルターで見ると、また感慨が湧いてきます。
史上初世紀の釘板デスマッチ 1/3
史上初世紀の釘板デスマッチ 2/3
史上初世紀の釘板デスマッチ 3/3
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