2010年03月26日

倉持隆夫『マイクは死んでも離さない 「全日本プロレス」実況、黄金期の18年』

 『マイクは死んでも離さない 「全日本プロレス」実況、黄金期の18年』(倉持隆夫著/新潮社)を読了。

 日本テレビのプロレス番組、『全日本プロレス中継』で、18年間マイクを握ったアナウンサー、倉持隆夫の番組回想録。

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↑『マイクは死んでも離さない 「全日本プロレス」実況、黄金期の18年』。

 私がプロレスファンになったのは、1982年くらい。新日本プロレス、全日本プロレスの二大団体が、しのぎを削っていた時代でした。

 同時に倉持アナの実況放送全盛期で、当然倉持さんの放送に親しんでました。

 テレビ放送は、新日は、テレビ朝日が放送。全日は、日本テレビが放送。

 倉持さんは著書の中で、両団体の戦いは、同時に、テレビ朝日vs日本テレビでもあったと語ってます。

 テレビの世界は、ともかく視聴率の世界。数字が取れなければ、スポンサーもつかないので、番組は終わらざるを得ない。まことにテレビは、「ドライな世界」と倉持さんは語ります。

 スポーツ実況を志して日本テレビに入社した倉持さんは、プロレスにほとんど関心がなかったそう。しかし「社命」で、『全日本プロレス中継』を担当することになる。

 それからというもの、『月刊プロレス』など専門誌を熟読し、試合の写真を切り抜いて、技の名前を覚えるなど、熱心に取り組みました。試合前、試合後のレスラーの取材も欠かさない。

 それは、仕事の鬼というか、倉持さんの生真面目さなんでしょうね。

 当時のプロレス番組は、まだまだ数字の取れるコンテンツであり、日本テレビの看板番組でもあったため、倉持さんも、プロレスのためというより、とにかく視聴率を上げなければという責任感があったでしょう。

 倉持さんが実況アナウンサーとして配属されるにあたって、ジャイアント馬場に挨拶に行った時、馬場は「ともかく視聴率を上げなきゃいかん」と言ったそうです。

 馬場さん達現場も、ともかく視聴率を気にしていたようで、倉持さんも、それに応えるべく、仕事に取り組んだでしょう。

 ほぼ同時代に活躍した、テレビ朝日の『ワールドプロレスリング』の実況アナ・古舘伊知郎とは、実況スタイルが比較されることが多かった。

 倉持さんが、古館さんとの違いを語ってますが、特に大きな差なのは、プロレスに対する「好き」という濃度だと指摘しています。

 プロレスが「根っから好き」で、実況をしている古館さんと、あくまで「仕事として」関わっている倉持さんでは、やはりプロレスに対する温度差が生まれたようです。

 ですから倉持さんは、18年のプロレス実況を終えてから、制作した資料やメモなど、段ボール箱10箱分を、プロレスファンの息子さんやファンに与えたり、あとは焼却処分。試合会場にも行くことはなく、プロレス専門誌からの原稿の依頼も断る。

 生活から、一切プロレスを消し去ったようです。

 倉持さんにとってプロレスは、ビジネス以上のものではなかったようです。

 倉持さんは現在、奥様と一年のほとんどをスペインで過ごし、年に二回帰国されるそうです。

 そんな倉持さんが、たまたま帰省していた時、電車に乗っていると、往年のプロレスファンから、声をかけられたそうです。髭を蓄えて風貌の変わった自分を、今でも覚えていてくれることに、感動したそうです。

 そのファンは、倉持さんが活躍した1970〜1980年代が、プロレスが一番面白かったと語ったそうです。

 私もちょうど、倉持さんと古館さんが競っていた頃に、プロレスファンになりました。You Tubeでプロレスを見ますけれど、圧倒的に、1980年代の試合を見ることが多い。

 古館アナの古館節は、今聴いても素晴らしいものです。中学生の私は、倉持さんより古館さんの実況が好きでした。プロレスは、全日派でしたけれど・・・。

 しかし40歳を過ぎた今、倉持さんの落ち着いたトーンの実況が、とても耳に心地良くなってきました。

 奇をてらわない、見たままを素直に描写する実況は、実況の正統派です。古館調の、「人間山脈」だとか、「戦う金太郎飴」など、比喩の巧みさだけが、実況アナウンサーの資質ではない。また、声を張り上げるだけが、実況でもない。

 見たままを的確に話す無駄のない実況スタイルは、まさに日本テレビのスポーツ実況の王道だったでしょう。

 そしてそんな穏やかな語り口が、年を取った私には、なんとも心地良いんです。

 タイトルになっている、『マイクは死んでも離さない』は、悪投レスラーのザ・シークに放送席を襲われ、ガラスの破片か何かで額を15針縫う大けがをさせられた時の様子を、タイトルにしたのです。

 それだけ、倉持さんは、仕事に命を張っていた。

 シークは、アナウンサーを襲うことが試合が盛り上がると判断して、倉持さんを襲ったようですね。

 その際、シークは目で「動くな」と合図したように見えたそうで、倉持さんも、額をむしろつきだして、切りやすいようにしたそうです。

 シークのこの行動は、倉持さんは事前に知らされてません。

 というか、彼はプロレスに「筋書きのあること」は承知していたけれど、事前にそれを聞いて実況をしたことがないそうです。

 見たままを話す、それがスポーツ実況だと思うからだそう。

 流血騒ぎになっても、倉持さんは番組に傷がつくので、ニュースで取り上げないでくれと報道部に言ったそうです。

 ともかく、仕事の鬼。日テレの看板番組を背負っている自覚が、そう言わしめたでしょう。

 18年間プロレス実況を担当したアナウンサーは、日本人では、倉持さんだけ。

 そんな彼だから語れる、放送の向こう側の世界が、豊富に語られている本です。

 そして、倉持さんは、やっぱりプロレスが好き、そしてプロレスラーが好きなんだなって、感じられる本ですね。


※倉持隆夫さんの実況最終回の放送です。

全B25-1 倉持隆夫アナウンサー引退

 それと、PWFヘビー級選手権試合、ジャイアント馬場(王者)vsスタン・ハンセン(挑戦者)。1985年9月30日、福岡スポーツセンター。放送席は、倉持アナと東京スポーツ・山田隆のおなじみコンビ。

PWFヘビー級選手権王者ジャイアント馬場対挑戦者スタン・ハンセン 昭和60年9月30日福岡スポーツセンター@
PWFヘビー級選手権王者ジャイアント馬場対挑戦者スタン・ハンセン 昭和60年9月30日福岡スポーツセンターA

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posted by 諸星ノア at 19:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書感想(マンガ含む)
この記事へのコメント
仕事が決まりません、失業して10カ月に突入です。バイトもせず、就職フェアやハローワークに行ったり履歴書を書いたり、家にこもって1日中ネット三昧の毎日です。社会に出るのが怖くなってきました。
Posted by さかい at 2010年03月27日 18:20
>さかいさん
 ひきこもっている私としては、なんとも慰めようがないです。

 ひきこもりから社会復帰されて頑張っている方のブログを探してみて、アドバイスを受けたらいかがですか?
Posted by 諸星ノア at 2010年03月27日 19:32

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