それを復刊するにあたって、イラストレーター和田誠に、今の東京を描いた和田版『東京見物』を描いてもらい、2冊をセットにした絵本が発行されました。
タイトルはズバリ、『東京見物』。
その刊行を記念したトークショーが、1月16日(土)に開催され、私も参加してきました。場所は、東京・青山ブックセンター本店内、カルチャーサロン青山。
時間は、18時半から。
以下、再現レポートです。間違いがあったら、すみませんです。

↑青山ブックセンター本店。

↑告知ポスターより

↑『東京見物』の函。中に、今と昔の2冊の『東京見物』が入ってます。
イベント会場は、ブックセンターの一番奥にある部屋で、80名くらいのお客が集まってます。
司会は、講談社のオザワ氏(正確な表記が分からないので、カタカナで)。オザワ氏は、今回の和田誠版『東京見物』の担当編集者のようです。
18時40分、和田誠さん、登場。壇上の席、客席から見て、左側に座りました。和田さん曰く、右耳が良くないそうで、左耳からオザワさんの声が聞こえた方が良いと言うことで、左側に座りたい、と。

↑壇上。
それでは、スタートです。
オザワ「こんばんは。土曜の夜、色々楽しいイベントがある中、こちらにご参加下さり、ありがとうございます。今日は全く打ち合わせなしで、やっていこうと思ってます。
まずは、和田誠さんのご紹介です。言うまでもないですが、イラストレーターであり、グラフィックデザイナーですし、絵本作家、エッセイスト、映画監督でもあられ、大変才能豊かな方です。
それでは、まずは講談社の絵本との出会いから、お話し下さい」
和田「戦前は、絵本と言えば講談社と言われるくらい、各家庭に、講談社の絵本がありました。この『東京見物』は、昭和11年発行でしたっけ?ボクが生まれた年に出た本です。
ボクが(物心ついて)読んだ講談社絵本は、『桃太郎』とか『カチカチ山』、『舌切り雀』。それから『岩見重太郎』(伝説上の侍。諸国を旅しながら大蛇退治とかした)」で、ヒヒが出てくるんだけど、それが怖くてね。それと、『孫悟空』」
オザワ「『孫悟空』の絵本は、控え室で和田さんにお見せしたんですが、絵柄とか構図とか、全部覚えてらした」
和田「それだけ、繰り返し読んでたんだね。そんな中で、両親が『東京見物』を買ってくれたんだけど、おとぎ話とかが多いラインナップの中で、東京の様子を描いている内容は、子供心に変わっているなって思った」
和田「子供の頃、ボクは大阪に住んでいたんです。両親ともに、東京人なんですけど、父親の仕事の関係で、大阪に住んでいた。それで『東京見物』を買ってもらったんだけど、どういう気持ちで両親は買ってくれたのかなと思うと、我が子に自分たちの故郷を見せたいという気持ちがあったのかもしれない。でもそれは想像で、二人ともとっくに亡くなっているから、分からないんだけど」
和田「ボクは、絵本を描いていて、絵本について色々語っていた文を、たまたま講談社の若い編集者が読んでいたのね。それでその編集者に、今の『東京見物』を描いてみませんかって言われた。
それで、自分なりに写真取材とかして準備したんだけど、なかなか催促が来なくてね。それが、十数年前の話。
その話を、最近になって講談社の編集者にしたら、やりましょうって言われて、急遽またやることに決まった(苦笑)。今度は忘れませんよって」
オザワ「そしたら、3枚描いたところで、和田さんはシシリー島に逃亡されて(笑)」
和田「逃亡じゃなくて、最初から行く予定だったから。
絵柄に関しては、いつものボクのチャラチャラしたというか、単純な線のマンガっぽい絵じゃなくて、『週刊文春』の表紙絵のような、リアルな感じで描こうと。それで、毎週やっていることだから、甘く考えていたんだけど、やってみると大変でね。銀座に人が大勢いるなんて絵は、結構時間がかかる。
それでも、編集から、講談社の創業100周年事業なんで、創立日には『東京見物』を出したいと言われて、なんとか間に合いました」
オザワ「大丈夫でした」
和田「(オザワさんが現代版の裏表紙を見せながら)、裏表紙のデザインも、ボクがやったんですよ。表紙のデザインもやってます。昔の『東京見物』の表紙は「物見京東」って、右から描いてあるんだけど、今それをやっちゃうと、若い人は読めないでしょ。それで現代版は、「東京見物」ってしてあります」


↑和田版『東京見物』の表紙(上)と裏表紙(下)。

↑昭和12年版の表紙。
オザワ「和田さんと講談社の付き合いは、長いんですよね。最初はー」
和田「ボクが学生時代に、コイツ(=和田誠)は似顔が描けそうだという話が出版界に伝わっていて、杉浦康平(すぎうら・こうへい)という有名なグラフィックデザイナーがいるんだけど、当時講談社から『ニッポン』という雑誌が出ていて、そのデザインを彼がされていたんだけど、その雑誌の中で話題の人3人を紹介するコラムがあって、それに添える似顔絵を頼まれたんです。
それでボクは、似顔を描いて、講談社に届けに行ってました。それが学生時代。でもあんまり下手だったせいか、2〜3回で、クビになっちゃってね(苦笑)」
オザワ「でもそれ以来、杉浦さんと交流が続いているんですよね」
和田「そうそう」
和田「それから、講談社の絵本も描きました。リンカーンとかライト兄弟とかの、偉人伝ね。
講談社と言えば、昔は「少年講談」という本があって、よく読んでました。少年向けの講談本なんだけど、幕府にたてついた武士が磔にされて、槍で突かれる挿絵とかリアルに描かれていて、結構残酷だった。
(オザワさんが、当時の少年講談の復刻を会場に回覧させるのを見て)ボクなんか、それはメチャメチャ懐かしいんだけどね」
オザワ「ではこれから、プロジェクターで和田さんが描いた『東京見物』の絵を紹介しながら、話を進めていきたいと思います」
ー『東京見物』刊行記念/和田誠トークショー2へ続きます。
※吉幾三のナンバーから、「俺ら東京さ行ぐだ」(1984年)をどうぞ。
私がこの曲を初めて聴いたのは、歯医者。院内の有線放送で流れていて、治療中だったんですが、笑いをこらえるのが大変でした。その後、レコードを買ったのを覚えてます。
吉幾三 - 俺ら東京さ行ぐだ
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阪神大震災のダメージは、直接の被害に加えて、その後の生活の心労と、ダメージが続くんですね。
大震災の日は、早朝に目が覚めてしまい、ポケットラジオで、NHKの震災特集をずっと聴いてましたよ。