2015年09月07日

大河原邦男トークショー&サイン会@池袋コミュニティー・カレッジ8F(東京・豊島区)/前編

 『メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人』(光文社新書)の発売を記念して、池袋コミュニティー・カレッジ8F、コミカレホールにて、大河原邦男さんのトークショー&サイン会が開催され、参加してきました。

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↑『メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人』。

 開催時間は、19時から。

 イベントが告知されてから、早々にトークショーは、完売。

 会場のコミュニティーカレッジ、コミカレホールは、100名くらいのお客で熱気むんむん。圧倒的に、男性が多いですね。40代くらいがメインですね。私と同世代くらい。ぽちぽち、女性がいます。

 トークショーの聞き手は、本の編集担当・井上氏。

 井上さんは、大河原さんと同じ、東京造形大学出身と紹介されました。

 以下、私が当日手書きメモした内容から、トークショーの内容を再現したものです。独断で、カットした内容もあります。

 1時間のトークは、前半30分はトーク。後半30分は、大河原さんの強い希望で、会場からの質問コーナーになりました。

 まずは、トーク。

 お互いが同じ、東京造形大学ということで、そこから話はスタート。

大河原「私は造形大の一期生。本当は多摩美に行こうと思っていたんですが、造型大が出来るという話を父から聞かされ、一期生になるのは滅多にないし、先輩もいないからのびのびやれるかな、と。

 専攻は、グラフィックデザイン。東京オリンピック(1964年)の亀倉雄策さんのポスターに影響されたのかも。ただ、横尾忠則さんが出始めた頃で、彼のデザインを見てとても勝てないと思って、テキスタイル科に変えました。学校嫌いだったから、小まめに通って、4年で出ましたね。学校行かないと、染め物とか、反物作る道具とか器械ないしね。

 大学4年の頃、教授に推薦してもらって、オンワード樫山に入りました。最初は、新宿の伊勢丹の紳士服コーナーに立たされて接客させられて。伊勢丹は規律が厳しくて、すぐ池袋西武に変えてもらいました。西武は、ゆるかったです(笑)。ただ、仕事が面白くなかったので辞めました。面白くないことは続けない主義なので(笑)。
 
 次に、ベビー用品の営業に転職して、そこで今の女房と知り合いました。そこは、仕事は面白かったです。でも、一生やる仕事じゃないなと思って、辞めてしまって。ただもう結婚したので、仕事しなきゃならない。それで、たまたま奥さんの実家の近くにあったのが、タツノコプロだったので、タツノコプロに入ったのです

 タツノコの給料は、安い(苦笑)。オンワードの給料半分以下かな。アニメ界は今もそうですが、ギャラが安いんです。だから、数をこなさないといけない。

 それで入社3年目からは、非常勤にしてもらいました。非常勤ってとこがミソ。隠れて、自宅で他社の仕事して、稼ぎまくる(笑)。ここから収入がドーンと増えるので、奥さんがビックリする(笑)。私以外でも、後にファイナルファンタジーで世界的に有名になった、某さんとかも、同じ手を使ってましたしね(笑)。

 入社してたての頃、アニメは素人。最初は、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)のデザインをやったんですけど、線をいっぱい引いたメカとか描いてしまって。

 入社直後、タツノコの『決断』という戦記アニメを観て、リアルなデッサン調だったから、その調子で描いてしまったんですね。素人の失敗です。後で、スタッフに睨まれてしまって。今はメカはCGで動かしますけど、手描きの時代は、線を一本増やすだけで、描く手間が増えて、大変ですから。線をたくさん入れて良いって言われたのは、『F91』(映画『機動戦士ガンダムF91』/1991年)の時だけでしたね

 『(機動戦士)ガンダム』(1979年)は、ジオン軍のモビルスーツは、私におまかせという感じでしたけど、ガンダムとかガンキャノン、ガンタンクはオモチャになるので、違います。ガンタンクは、腹部のコアファイターを軸にして、上半身にガンダムの上半身を合体させる予定で、クローバー(番組スポンサーの玩具メーカー)の社長さんにプレゼンしました。劇中では、やりませんでしたけど(笑)。クローバーは、『ザンボット』(『無敵超人ザンボット3』1977年)、『ダイターン』(『無敵鋼人ダイターン3』/1978年)と合金玩具で儲かっていたので、『ガンダム』は(ストーリーでやりたいことは)何でも出来ましたね。で、『ガンダム』でコケちゃったんですけど(苦笑)。

 それで、プラモデルをやったら儲かるんじゃないかって、手を挙げたのが、バンダイさんなんですね。それが今に続くガンダム・プラモ、ガンプラです。

 『ダイターン』の時から、朴の木(ホオノキ)で、モックアップ(検討用の模型)を作って、スポンサー会議でプレゼンしてました。玩具にはSTマークという商品安全の規格基準があって、尖った部分が割れたりしちゃいけないから、そういうのをクリアするようなオモチャを作るには、実際にモックアップ作らないと分からないんです。デザイナーでは、模型作ってプレゼンしてたの、私くらいかな。あとは、『マクロス』の河森正治(1960年〜/メカデザイナー・アニメ監督)が、レゴでやっていたくらいですね」


 ここでトークショーは時間切れ。続いて、質問タイムです。

ー後編に続く。

※『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)からOP、子門真人「ガッチャマンの歌」。ED、コロムビアゆりかご会「倒せ! ギャラクター」。

 著作によれば、大河原さんのアニメ初仕事は、『ガッチャマン』のメカではなく、番組のタイトルロゴだったそうです。

ガッチャマン(Gatchaman)OP ED


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posted by 諸星ノア at 23:38| アニメ・声優など