渋谷TOEIにて。
以下、ネタバレありますので、未見の方ご注意下さい。

↑パンフレット表紙より。
平日とあって、館内は空いてました。客層は、見事におじさんばっかり。まぁ私もですが(苦笑)。
原作は、安倍夜郎の同名マンガ。それがドラマ化され、好評で3rdシーズンまで制作されたほど。そして今回、劇場版で登場というわけです。
私は元々原作マンガのファンで、ドラマ版も1stシーズンまでは観ていて、2ndからは録画して撮りっぱでそのままという(汗)。
そんな感じなんですが、楽しみに、映画版を観に行ったのでした。
ご存じの方も多いかもですが、一応設定を説明しますとー
『深夜食堂』の舞台は、東京・新宿、歌舞伎町あたり。
夜中12時から明け方7時まで営業している「めしや」が、舞台。左目に切り傷のあるマスター(演:小林薫)が、めしやの主人。
客が注文する料理は、材料さえあれば大抵のものは作ってくれるマスター。そして基本、お節介なことは何も言わない。
そんな「めしや」に集う客の、食と人生にまつわるエピソードが、『深夜食堂』の物語。
映画版は、エピソード三話分が、数珠つなぎに構成されてます。
すなわちー
「ナポリタン」
「とろろご飯」
「カレーライス」
そこに冒頭、めしやに謎の「骨壺」の忘れ物が登場し、骨壺の話が各エピソードを縫うように、さりげなく登場します。
すべてのエピソードに共通するのは、女性が主人公だということ。あるいは、キーパーソンだということ。
「ナポリタン」では、高岡早紀が、お金目当ての2号さんという、イメージ通りの(?)性悪女のたまこ役で登場。
パトロンの死なれ、遺言に遺産の分け前が書かれてない寂しさからヤケになっていた、たまこは、マスターの作った、ナポリタンが好きだった。
そんな時、めしやで知り合った、真面目で、城のプラモデルを作るのが趣味の営業サラリーマンはじめ(演:柄本時生)と恋に落ちる。
たまこの気まぐれに翻弄される、はじめ。
結局遺産はもらえることが分かって、はじめはあっさり、たまこに捨てられます。しかも、お城のプラモも壊されて、捨てられます。
たまこ曰く「本当に欲しいものは、1つしか手に入んないの。欲張っちゃダメよ」。
彼女なりの、哲学なんでしょう。はじめは、良い勉強になりましたと、マスターに話す。
「とろろご飯」では、多部未華子が演じる、栗山みちるが主人公。漫画喫茶を根城にする彼女は、空腹に耐えかね、ふと立ち寄っためしやで、ありったけのメニュー+とろろご飯を、無銭飲食してしまう。
後日マスターに謝罪したみちるは、謎の右手痛で包丁が握れないマスターに代わり、めしやの厨房を預かる。
みちるは若いながら、料理の腕が確かで、新潟出身者であることも判明。常連客にも可愛いがわれる。
めしやで働いているみちるの元に、中年男の渋川(演:長谷川タダオ)が、よりを戻しにやってくる。
渋川は、両親がなく祖母に育てられたみちるに、結婚してくれたら、金を出資して東京に料理屋を出してやるし、リュウマチの祖母の面倒も看ると、ダマしていたのだった。
ダマされたと気づいたみちるは、東京まで逃げてきたのであった。
そこへみちるを救うべく、交番の巡査(演:オダギリ・ジョー)がやってきて、彼を筆頭に、マスター、めしやの常連達が、一芝居を打つ−。
3話の中で、このエピソードが唯一、ハッピーエンドで終わります。
最後は、「カレーライス」。
めしやの常連・足立サヤ(演:平田薫)の親友・杉田あけみ(演:菊池亜希子)は、週末は東日本大震災で仮設住宅暮らしの人達に、炊き出しのカレーを振る舞うボランティアをしている。カレーは、めしやのマスター直伝のもの。
そんなあけみに、一方的な求婚を迫って、震災の津波で、最愛の妻を亡くした、仮設住宅暮らしの大石謙三(演:筒井道隆)が、上京してくる。
妻に死なれ、子供のない謙三は、家に引きこもる日々だったが、そんな時自分を立ち直らせてくれたのが、あけみであり、彼女の作ったカレーであった。
あけみは、謙三のストーカーまがいの求婚に、ひどく迷惑し、態度を硬化。ついには、酒で酔いつぶれ、謙三の泊まる、ホテルへ怒鳴り込む。
酔いつぶれたあけみを見て、自分は何をしてきたのか我に帰った、謙三であった。
一夜明けて、あけみは、めしやへ。
彼女はマスターだけに、本音を話す。
自分は、会社の不倫相手の上司に捨てられ、彼を忘れるために、東北に行っただけであったと。
翌日、めしやで酔いながら謙三は、妻は遺体もないので、骨壺に納める骨もなく、結局海岸の砂を埋めた話をする。重みがあるから、かろうじて、納得するんだ、と泣きながら語る。
この話をたまたま外で聞いていたあけみは、声を殺して、泣き崩れるのみであった。
謙三は、翌日故郷宮城へと、長距離バスで帰って行く。
彼は、見送りにきたあけみに、カレーを楽しみにしている仮設の人達のために、また来てくれと笑顔で頭を下げた。あけみも、荷が下りたような笑みで応えるのであった。
さてー
この映画を観て、改めて『深夜食堂』のマスターの偉さを見たというか。
彼は、基本ジャッジしないんですよね。自分の価値基準で、人の意見を判断はしない。聞いてるふりをしている。独白(モノローグ)では、多少言ってるんだけども。
大人には、それぞれ、事情がある。抱えている人生がある。
いちいち言いたくなるけども、言わない。
言い合って議論して、みんなで共有するのが、10代くらいまででしょう。学校時代までは、人生にそんなに大差はないし、悩みを言い合って、何でも話せる青春時代ってのも、大切なんだけども。
でも20代過ぎると、人生にばらつきが目立ち始めるから、良い悪いじゃなくなってくる。
誰を基準にするかで、良い悪いも違ってくるだろうし。
大人の距離感。
マスターが意見する時は、店の中で殴り合いのケンカが起こりそうな時とか、常連客に迷惑がかかりそうな時とか、勘定はつけはダメとか、そういう基本的なことくらい。
お互い探られたくない苦しさ、辛さも出てくるから、そこはつつかないで置くのが、大人というか。甘い秘密もあるだろうけども。
私は未だに、結構人をジャッジしがちなので、知らぬ間に反感を買ってしまうことがしばしばなんですな・・・。
マスターには、大人の人付き合いを学ぶ思いです。
それと、私が男だからなんだろうけども、改めて女性って、色んなタイプがいるなって思いますね。三者三様、事情を抱え、でも必死に生きる女性達。その彼女らに、翻弄される男有り、利用する男もいて、勘違いする男有り。
世の中、男と女で構成されてるなって、改めて思い知らされます。
それと、女はたくましいけど、男は哀しい生き物だなって痛感します。
そんな人生のほろ苦さも、最後は美味しい食べ物でじんわり癒すのが、『深夜食堂』の魅力。
なお、謎の骨壺ですが、無縁仏として奉養した後、落とし主=塚口街子がめしやに登場。演じるは、田中裕子。
田中裕子に何故骨壺を置き忘れたかを、早口で語らせる「コミカル」さを狙ったみたいですがーなんというか、蛇足ぽかった。笑えないし。
どうせだったら、大竹しのぶにやらせてみたらどうだったろうか。あるいは、室井滋とか。
最後に、「とろろご飯」のあけみが就職先の料亭から、手製の煮物を持ってめしやにやってくるシーンで終わるんですが、これだけでラストは締まった気がしますね。
パンフレットの小林薫のインタビューにありましたが、映画になっても、グレードアップしない(苦笑)。
というか、グレードアップしたら、『深夜食堂』じゃないだろってなるでしょうし。
『深夜食堂 THE MOVIE マスター危機一髪!』とか、絶対ダメでしょ。ないか、そんなの(苦笑)。
とにかく、ドラマがそのまま、映画になった感じなのが、『深夜食堂』の魅力でしょうね。
※映画『深夜食堂』予告編をどうぞ。
映画『深夜食堂』予告編
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